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*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

理不尽との戦いは諦念との戦いでもある。

理不尽----物事の筋道が立たないこと。道理に合わないこと。

 

先日若い女の子に「本城さんみたいに努力をしてる人が、都合の良い様に遣われてるなんて理不尽ですよ!もっと権利を持って下さいよ!」と言われて、その有り難さに涙したけれど「そうだなぁ、大人になると言うことはこの大概の理不尽さに対する怒りを諦めるという行程であったなぁ」と、怒りを持てる若者に敬意と憧憬を抱かずには居られなかった。

 

思えば、幼い頃から理不尽には何度も抵抗し、虚しく敗退していた。例えば、まだ遊んで居たいのに親の買い物には同行せねばならず、かといって買い物先では欲しいものを与えられる事もなかった。親同士の噂話に首を突っ込めばたしなめられ、憧れの服を身に纏えばはしたないと着替えさせられた。そうこうしているうちに疲れてきて、いちいち小言を言われるのも面倒なので、徐々に抵抗しなくなっていった。もしくはもっと悪知恵を働かせて、親や周囲に隠れてコソコソとするようになった。

それに比べると我が相方こと旦那様は強くて、未だ全てに怒りを持って対峙し続けているのだから凄い。私がもう疾うに諦めてしまった理不尽さに啖呵を切ってくれるのが清々しい。だから私は彼といることを選んだのだが。

 

話が反れたけれど、理不尽さに抗う若者に我々中年世代は敬意を持つべきであって、決して軽んじてはならない。何故なら彼らは真っ当で正論で、恐らくは《そうであったほうが良い》のだ。初めて勤めた会社で先輩に「売上が上がると分かっていることは全てやるべきだ。それを上司に反対されても、自分が正しいと思うなら上司の上司に言ってみろ。それでも反対されて、それでもやりたいと思ったら社長に話してみろ。それでも反対された時はこの会社を辞めろ」と言われたことは今でも糧になっている。長く勤めるとどうしてもルーチンワークに満足して、新しい発想が生まれてこない。過去の成功体験にしがみついている自分に気付かないことも多い。《若者》であり《新人》であるという特別な時期はそう長くもない。だからこそその時に感じた社会の理不尽さ、世間の理不尽さはずっと抱えて持っていた方が良い。その理不尽さを年月を重ねてちゃんと温めて分析して見直して、時間を掛けて諦めるのではなく、時間を掛けて解決する方法を探っていくのだ。あの時に感じた、暴力にも似た理不尽さは、間違いなく世の中の欠点で、誰もが「おかしいな」と感じているにも関わらず飼い慣らされていくものだからだ。

 

中年世代のやるべきことはただひとつ。若者や新人が働きやすいシステムを構築すること、これに尽きる。知らないことは勉強し、真似るべきところは真似る。駄目なら駄目で、そこからまた新人と共に学べば良い。もしくは責任を負えば良い。それが本来の上司・社長のやるべきことで、仕事を取ってきたり、仕事を教えたり、叱責することではないのだよなぁ。なんでそんな簡単なことに気付かないのかなぁ、うちのバカ社長は本当に不勉強だなぁ…と思うのである。

 

さて、権力を持って下さい!と言われた本城さんは、年下の先輩にどう応えたのか。

 

「時が来れば…多分。うん。もう少し待ちましょう」

 

いきなり言っても駄目なのだ。今の会社になった経緯に、バカであろうが理由はあり、積み重なってしまった関係や、邪なプライドや見栄が地層のように折り重なっているのが分かるのが、中年の強みというか経験の成せる業。自分が言うべき人間であれば、言うべき時が来るのが人生の妙だと分かっている。根回しや見えないところでの爪とぎが、来たるべき時に必要なのだ。

 

なーんて表向きには書けるけど「時が来れば」と応えた時の私の“時”とは、社長か経理ババアが死ぬか、部長クラスが過労死するか自殺するかでもすれば、この会社は解散するでしょという考えの“時”だったりする。満員電車内で言葉にするのはさすがに憚られたので、敢えて「待ちましょう、大丈夫です」なんて言ったけど、こんな碌でもない会社は時間に淘汰されるのが関の山だ。残るか残らないかはまさに今年が正念場だと思ってる。社員はみんな思ってるのに幹部がそれに気付いてないなんて、愚かさを超えて哀れで、哀れだからこの会社に付き合ってやってる人がいることも知っている。助けられるなら助けたいけど、助ける価値もない会社なのか見極めるためにここに残ったのだ。

 

さてさて、どう出るかな。