人からモノをもらうのが全力で苦手な話。
あまり大きな声で話すと炎上しそうなので小声で話すけど、私以外にも「人からモノをもらうことが苦手」な人は結構いるのではないか、と。同士の心に直接語りかけています。
私はどのくらい苦手かというと、実は“死ぬほど”苦手です。
まったくくれなくていい。誕生日プレゼントもいらない、お礼もいらない、花束なんて死んでもいらない!全部ゴミになるからやめてーーーー!と叫びたい。叫びたい気持ちを抑えて、表面だけ取り繕って「わーうれしー」と返すのも疲れてきた。
「私はいらないです」と言ってみたこともある。でも「遠慮しないで!」と押し付けられるこの始末。他人はなぜ“もらったら嬉しい”と妄信しているのだろうか。自分が嬉しければ他人も嬉しいとなぜ思えるのだろうか。
特にいらないのがお菓子のおすそ分けで、これが今の職場で普通に横行しているのでむちゃくちゃつらい。ほとんどの人が自分が食べるタイミングでフロアの女性全員に同じお菓子を配る。ちなみに私は自分が食べるお菓子は絶対に他人に配らない。だって相手がそのお菓子が好きかどうかなんてわからないでしょう?でももらったら「ありがとう」と言わざるをえないでしょう?私はそれがわかっているから、人にあまりモノをあげない。私がもらいたくない側の人間だからだ。
幼い頃は、人から物をもらって素直に喜べない自分が心底嫌いだった。自分はなぜ他の人のように喜べないのだろう。どうして迷惑だと思ってしまうのだろう。自分は悪い人間なのではないか。夏休み明けにもらった、県をかたどったキーホルダーを眺めながら「どーすんだこれ」と思いあぐねた。
そんな時、私はある記事に出会う。進研ゼミか何か、読み物の記事だ。
【もらったものを捨ててもいい】
『角が立つからその場ではきちんとお礼を言いましょう。自分のことを思って、考えて、それを贈ってくれた行為そのものに感謝しましょう。でももらった物そのものについては要らなければ捨てて良いのです。くれた相手の知らないところで捨てればよいのです。そのことに罪悪感は必要ありません。』
それを読んだ時、私の心はすぅーっと軽くなった。自分は悪い人間ではなかった。同じように思う人はいるし、何より、溜まったもらいもののあれやこれやをまとめて捨てても良いのだという言葉に、心底救われたのだ。
それから、私は貰い物を受け取る時に、素直にありがとうと言えるようになったし、その帰り道、自宅近くのゴミ箱にためらいなく花束を捨てて帰れるようになった。なんという開放感!!あの記事を書いてくれた人に心から感謝!あの記事に出会っていなければ、私は今も不要な土産物と罪悪感に埋もれていたかもしれない。
とは言え、それを何十年も繰り返していると、さすがに少しは罪悪感を覚える。好きでも好みでもないお菓子を連日貰い受けて、溜めては自宅に持ち帰り捨てる日々…。
ちなみに野菜類ももらっても捨てるだけです。特に葉物が苦手。丸いままのキャベツやレタスとか無理。あと野菜類はもらったらそれで献立を考えなきゃいけないじゃないですか。それが非常に迷惑。本当喜べないし、いらないです。
もしかしたら同じように物をもらうのが苦手で悩んでる人がいたら、ぜひお家で、もらった相手にバレないように捨ててください!嫌なこと、我慢しなくていいです。でも礼儀としてお礼の気持を忘れずに…(って私が言える立場ではないですね)
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