*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

人からモノをもらうのが全力で苦手な話。

あまり大きな声で話すと炎上しそうなので小声で話すけど、私以外にも「人からモノをもらうことが苦手」な人は結構いるのではないか、と。同士の心に直接語りかけています。

 

私はどのくらい苦手かというと、実は“死ぬほど”苦手です。

 

まったくくれなくていい。誕生日プレゼントもいらない、お礼もいらない、花束なんて死んでもいらない!全部ゴミになるからやめてーーーー!と叫びたい。叫びたい気持ちを抑えて、表面だけ取り繕って「わーうれしー」と返すのも疲れてきた。

 

「私はいらないです」と言ってみたこともある。でも「遠慮しないで!」と押し付けられるこの始末。他人はなぜ“もらったら嬉しい”と妄信しているのだろうか。自分が嬉しければ他人も嬉しいとなぜ思えるのだろうか。

 

特にいらないのがお菓子のおすそ分けで、これが今の職場で普通に横行しているのでむちゃくちゃつらい。ほとんどの人が自分が食べるタイミングでフロアの女性全員に同じお菓子を配る。ちなみに私は自分が食べるお菓子は絶対に他人に配らない。だって相手がそのお菓子が好きかどうかなんてわからないでしょう?でももらったら「ありがとう」と言わざるをえないでしょう?私はそれがわかっているから、人にあまりモノをあげない。私がもらいたくない側の人間だからだ。

 

幼い頃は、人から物をもらって素直に喜べない自分が心底嫌いだった。自分はなぜ他の人のように喜べないのだろう。どうして迷惑だと思ってしまうのだろう。自分は悪い人間なのではないか。夏休み明けにもらった、県をかたどったキーホルダーを眺めながら「どーすんだこれ」と思いあぐねた。

 

そんな時、私はある記事に出会う。進研ゼミか何か、読み物の記事だ。

 

【もらったものを捨ててもいい】

 

『角が立つからその場ではきちんとお礼を言いましょう。自分のことを思って、考えて、それを贈ってくれた行為そのものに感謝しましょう。でももらった物そのものについては要らなければ捨てて良いのです。くれた相手の知らないところで捨てればよいのです。そのことに罪悪感は必要ありません。』

 

それを読んだ時、私の心はすぅーっと軽くなった。自分は悪い人間ではなかった。同じように思う人はいるし、何より、溜まったもらいもののあれやこれやをまとめて捨てても良いのだという言葉に、心底救われたのだ。

 

それから、私は貰い物を受け取る時に、素直にありがとうと言えるようになったし、その帰り道、自宅近くのゴミ箱にためらいなく花束を捨てて帰れるようになった。なんという開放感!!あの記事を書いてくれた人に心から感謝!あの記事に出会っていなければ、私は今も不要な土産物と罪悪感に埋もれていたかもしれない。

 

とは言え、それを何十年も繰り返していると、さすがに少しは罪悪感を覚える。好きでも好みでもないお菓子を連日貰い受けて、溜めては自宅に持ち帰り捨てる日々…。

ちなみに野菜類ももらっても捨てるだけです。特に葉物が苦手。丸いままのキャベツやレタスとか無理。あと野菜類はもらったらそれで献立を考えなきゃいけないじゃないですか。それが非常に迷惑。本当喜べないし、いらないです。

 

もしかしたら同じように物をもらうのが苦手で悩んでる人がいたら、ぜひお家で、もらった相手にバレないように捨ててください!嫌なこと、我慢しなくていいです。でも礼儀としてお礼の気持を忘れずに…(って私が言える立場ではないですね)

 

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バチェロレッテ2~アフターファイナルローズで納得の理由~

今回も4週間、楽しませていただきました!バチェロレッテ・ジャパンシーズン2

何気にバチェラー・ジャパンも含めて全部観てます!

前回のバチェロレッテシーズン1のネタバレ感想はこちらから↓↓↓

yuka-honjyou.hatenablog.com

では早速感想、いってみましょう♪

※※以下バチェロレッテ・ジャパンシーズン2※※
※※最終回までのネタバレを含みます※※

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在宅ワークを社長にダメ出しされた話。

「は?なんで?」という怒りが先行してます。

こんばんは。ゆかです。

まだちょっと本人(社長)に直談判できていないので、事態が好転することを祈るばかりです。

 

私が在宅したいワケ

ぶっちゃけ“猫”です。限られた時間をより多く、大好きな猫と一緒に過ごしたいと考えるのは普通のことではないでしょうか。コロナ前はそんなこと無理だと思ってました。“家で仕事をすること”はある個人事業主の一部でしか実現しないと思われていたからです。しかしこのコロナで状況は一変し、会社員でも一部の職種では、環境さえ整いさえすれば“家で仕事をすること”が可能だという事実がつまびらかにされたのです。

私はとあるリフォーム会社で、事務とたまに資料作りや図面作成を仕事にしてますが、ソフトの入ったPCさえあれば自宅でもできる仕事です。(完全に在宅になるなら、メーカーカタログや見本帳も自宅に置く必要はあると考えてますが)そして私は、もともとの目的はゲームと動画作成でしたが、在宅ワークも見据えて、この夏机と椅子とPCを購入し、最近プリンターとスキャナも購入しました。

 

降って湧いた相談のタイミング

先月、人事考課の面談があり、直属の上司に「将来的に在宅勤務を希望している」と告げました。この“将来的に”というのは、猫が年をとった時には必ずそばにいようと心に決めているからです。いつかはその時がくるのだから、その準備を今から進めているわけです。

すると上司は理由も聞かず、来年から週に一度在宅の日を設けましょうと言ってくれました。休み明けは事務仕事もたまっているから、自宅でそれらの処理を集中してやってもらえると助かるとも言われました。私の中で一番のハードルはこの直属の上司だったのでとても嬉しかった。なぜなら、この会社が完全在宅制を取れないもっともくだらない理由として、電話応対とFAX対応があるからです。特に電話はクライアントからも施主からも山のように掛かってくるので、事務員の誰もが自分の仕事の手を止めて電話応対をしています。1人の在宅を認めるということは、その電話応対から逃れられる、つまり実質人手が減るため、他の事務員から反感を買う可能性が高いのです。そのためきっとこの上司も私の申し出にいい顔はしないだろうし、それらを理由に認めないだろうと考えていたのです。

しかし、私はこの時失念していました。この会社の一番の癌が社長であることを。

 

急に告げられた在宅不可

週明けに出社すると、上司から社内メールで「社長が特別な理由のない在宅は認めないそうなので、あの話はなかったことにしてください」と連絡が入っていました。そうでした。うちにはちょっと頭のおかしい社長がいるんでした。どのくらいヤバいかというと、人並みにヤバいのですが、プライドが高く・照れ屋で・気分屋で・社員には食い物を与えておけばいいと考えていて・それでいて小心者で・見栄っ張りで・ケチで・社員や職人は使い捨てだと思っていて・イエスマンしか置いておきたくなく・責任転嫁が得意で・息子や娘を会社に来ない役員に抜擢し・自分は不動産経営もしていて会社に来ることもなく・年に何度もインフルエンザに罹ってドタキャンし・PCが使えないくせに・iPadを持ってることをやたらと自慢し・未だに接待=ゴルフで・社員の文句は女性社員にしか言えず・女性社員相手にしかキレることもできない程度にはヤバい社長です。ちなみに私は世界で一番この社長を軽蔑しています。

(※私は社長を軽蔑している。参照)

そんな社長は、コロナ禍が騒がれ始めた2020年2月頃「テレワーク導入して。無理して人に会わなくていい。無理言ってくる仕事は断っていい」などと“社員思いの経営者”のフリをしていましたが、一週間も経たないうちに「コロナやばいな。売上どうだ?挨拶回りしよう」などと真逆のことを言ってきました。自分の金と保身しか考えていない、典型的なダメ経営者です。

そういう社長が私の在宅を認めないというのには「こいつ、サボろうとしてるな、許さんぞ」という気持ちが一番でしょう。在宅=サボりという疑いの目しか持てない古臭い脳みそが透けて見えます。2つ目は「それなりの金をやってるんだからもっと働け」と思っているはずです。会社の中ではちょっとだけいい給料かもしれませんが、数千円という微々たる差です。更に私は社内で唯一の資格を3つ持っています。この資格は会社のお金で取りました。だから社長の中では「俺が取らせてやった。俺のために働け」という意識が当然のようにあるのでしょう。まあ、この気持ちはわからなくもありませんが、自分の資格をどう使おうと私の勝手です。

さて、こういう低い人間性をもった人間を相手にすることは、容易ではありますが、非常に面倒くさいです。私は面倒くさいことが嫌なのですが、自分の人生のためです。ここぞというタイミングを見計らって交渉するしかありません。今社長は完全に私から逃げモードに入ってるので、無理に話しかけても逆ギレされることが目に見えています。急がずじっくり行きましょう。

 

世の中よ、早く変われ

実際、私は何度か家の事情で在宅したことがあります。通勤のための往復という時間がゼロであるということだけで、仕事に対する思いがこんなにも変わるものかと思いました。これまで勤務中というのは、自分にとって煩わしさしかなく、開放感は家で味わうものでした。しかしその《家》で働くことにより、一つの自由の上で仕事というタスクをこなす充足感を得られることがわかりました。たしかに、この考え方については一面的で、私の同居人なんかは家に仕事を持ち込みたくないという“オン・オフはしっかり分けたい派”だったりします。いや、だからこそ経営者は、この多様性の時代に「家で仕事をしたい」「オフはしっかり切り替えたい」というそれぞれの《働き方》を認めざるを得ないのでしょうか。それを認めなければ、社員が集まらないのです。

実際、私は在宅NGを出されたあとも、家で働くことを諦めていませんし、それを実現するための方法を模索しているところです。お金は大事です。また、毎月一定の額が振り込まれる現状(会社員)も大事です。現状を崩さず、かつそのために全振りすることもなく、いかに自分に合った働き方をするか…こんなこと大学のうちに考えられればよかったんですが、時代性もあるので仕方ないでしょう。

コロナ前には決して戻りたくはありません。アフターコロナが急速に普及して、とんでもバカ社長でも多様性を認めざるを得ないような、もしくはとんでもバカ社長の元で働かなくても済むような世の中がすぐに来てくれたらいいなと思います。

 

とりあえず武器は手に入れた。これと自分を活かしてお金に変える方法を模索しよう。

エヴァンゲリオンと私〜空白の25年間〜

 私が初めてエヴァンゲリオンを観たのは、高3の冬、センター試験の前日だった。

 

その頃、同人誌を描いてるくらいにはオタクだった私は、訳の分からぬ“原作至上主義”を掲げていて、オリジナルアニメはおろかアニメと呼ばれているものを一切観ていなかった。紙ベースの漫画もしくは小説に準拠した二次創作に没頭していたと言えば聞こえはいいが、原稿と勉強が忙しくてアニメに費やす時間が惜しかったというのが本音である。

すっかり忘れていたけれど、過去の日記を引っ張り出したところ、どうやら私は当時後ろの席だった人(今は顔も名前も覚えていない)にしつこくエヴァを進められて、それをセンター試験の前日というタイミングで初めて観たらしい。12話だったというから、ほぼ物語の半分、たしか加持さんとヘリが出てきていたように思う。

即座にエヴァの魅力に取り憑かれた私は、そこからフィルムブックと呼ばれる、アニメのシーンに漫画の吹き出しを付けたような冊子で、1話から11話を補完しているだけなので、実は全話を観ていない。数年後に発売されたDVD-BOXは購入したが、結局1枚分しか観ないまま、今も部屋のどこかに眠っている(はずだ)。

それはさておき、まさに受験の追い込み時期にどっぷりとエヴァにハマった私は、完全にシンジやアスカとシンクロしていた。正体不明の敵、先行きの見えない未来、親という重圧、孤独な戦い…そしてその頃の私達は、まだアニメというものに希望しか抱いていなかったから「シンジとシンクロすることで、最後には自分自身も救われるのだ」と勝手に思い込んでいた。しかし、実際にはよくわからない独白の羅列のあとに「おめでとう!」と一方的に祝福を受けて物語は終わってしまった。急にシンクロを拒絶されて、彼らだけ祝福されて、こちらは闇に取り残されたような気持ちになったことを覚えている。

後から思えば、それこそが制作陣の思惑で、結局、アニメなんてものにすがって期待して助けてもらおうなんていう考え自体が甘いのであって「現実を見ろ」という当然の解を提示されたに過ぎないのだけれど。

そうしてしばらくはエヴァを恨んでいた。だって私を助けてくれなかったから。旧劇場版では更に嫌悪を募らせた。吐き気をもよおすほどの陵辱・残酷描写の連続で、それを子連れで観に来ている親たちにも怒りを覚えた。

そんな中でもミサトさんのことを好きになったのは、私の中では彼女だけが依存やトラウマを乗り越えて“自分で自分を幸せにする”という【補完】に成功しているように見えたからだ。だから私は今でも、人類補完計画とはそれぞれが自己の幸福を自己補完することだと考えている。

 

そんな私だったから、片足を突っ込んでいたよしみで付き合うつもりで観ていた新劇場版だったけど(エヴァを恨んではいたけれど、結局エヴァの同人誌は何冊か出したし、初めてそれなりに売れた本でもある)アニメ最終回から新劇場版の終劇までに25年もあったからこそ、抱けた感想もあるのでつらつらと書いておきたいと思う。

 

※※この先は劇場版本編のネタバレを含みます※※

※※考察要素はありません。ただの感想です※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ先に思ったのは「相変わらず庵野さんの好きなものを見せられてるなぁ」という呆れを被った羨望である。シン・ゴジラもそうだし、シン・ウルトラマンもそうだし、彼の作りたい世界?場面?演出?を、お金を払って勝手に見に行ってるんだから文句を言う筋合いもないんだろうけど、重機とか有線とか本当好きだよねー。更に最後が監督の生まれ故郷とか…うーん、うーん…まあやっぱりゲンドウくんは監督ってことで良いのかな?うーん…とりあえず嫉妬はここまで。

 

後付とはいえ、結局エヴァが全編通して言いたかったのは広義の人類愛だと思いました。平和とか環境問題とかじゃなくて、純粋な人類愛。第三村で綾波が感じたぽかぽかに代表される、他者を受け入れる人の温かさが、破滅した世界と背中合わせで存在していて、誰もがこの穏やかな世界の終わりが何時ともしれないとわかっていながら、いつまでも続きますようにと祈りながら生きている。これってまさに人であれば平等に与えられている状況で、この今1分1秒、誰もが死と隣り合わせで「生きている」んだよね。1秒後、この心臓が止まるかもしれない、地震が来るかもしれない、車にはねられるかもしれない、誰かに殺されるかもしれない、毎秒50%の確率で生きている事実は、あんな究極の物語の中でなくても同じことで。でも実際はそんな嫌な事実を忘れたふりして、平気で人を傷つけたり、貶めたり、蔑んだり、生きにくい世の中を作り上げちゃってる。まあ、昨今の避難所での悲惨な状況を思うと、村はやはり空想の理想郷なんだろうなと思わずにはいられないけど、本来は究極の状況下で人が生きていくには、思いやって支え合うことが必須(理想)であって、「今」も究極の状況下であるのだから、思いやり支え合っていいじゃないか。もっと他者に対して優しくてもいいじゃないか。ついでに言うと、1人が好きで、他人に合わせるのが苦痛な僕(ゲンドウくん)にも優しくしてよ!愛してよ!って話ですな。だから広義の人類愛。どんな人だって人類だからね。同じ人類なんだから他者を愛するなら僕も愛してよっていう叫び。

 

物語的に言えば、ジェンダー問題を恐れずに表現するなら、母性の話に尽きるのかなぁとも思う。みんながみんなとはもちろん思わないけど、私だったら絶対に息子を取る。産んだことないけど。旦那か子供かってなったら、ぜーーーーったいに子供を取る。ユイさんはよくわからないけど、ミサトさんはまさにそれで、お腹に子供がいたから加持を見送れたし、子供が生きてる世界があるから守るために戦うっていう気持ちは痛いほどわかった。だからね、ゲンドウくんには申し訳ないけど、ユイさんは別にゲンドウくんには会えなくても困らなかったんじゃないかなぁ。エヴァとシンちゃんと居られればそれで。逆にシンちゃんを大事にしなかったゲンドウくんには怒って良さそうだけど、ゲンドウくん的には「もう、困った人ね。こんなことしなくても私はシンちゃんの中にいたのに。仕方のない人…」とか言われたいんだろーな。あー気持ち悪い。

 

そう、TV版から謎だったんだけど、ゲンドウくんはユイさんの血が半分入ってるシンジくんにどうして優しく出来なかったんだろう。やっぱり息子だから駄目なの?娘だったら良かったの?愛するユイさんが産んだシンジくんの中に、ユイさんがちゃんといるってことに、本当に本当に最後まで気づいていなかったのかな?だとしたらゲンドウくん本当に馬鹿だなーって思う。もしかして初号機に取り込まれたユイさんに再び会うためには、息子を追い詰めて、息子を守るために出現することを期待してのやり方だったのかなとも一瞬思ったけど、その可能性は低そう。普通最愛の人が守りたいと願ったなら、代わりに守ると思うんだけどな。どうだろ。

 

にしても、今までのエヴァになくて、今回の終劇にあるのは、やはり父と子の決着だったのかなとか。エヴァシリーズは全部観てるはずなんだけど、全然覚えてない。けどやっぱり今まではシンジくんの心の葛藤に決着はつけても、お父さんとまともに向き合って決着ついた印象はないから、そこをちゃんと描きたかったのかもしれないとか思ったり。

 

とにかく本当25年間ありがとうエヴァンゲリオン。そしてさよなら。あなたは間違いなく私の青春でした。

日本初の《バチェロレッテ》は失敗だったのか。

※※以下バチェロレッテ・ジャパンシーズン1※※
※※最終回までのネタバレを含みます※※

 

 

 

 

 

 

 

ニュース記事として出回ってくるバチェロレッテ・ジャパンの感想記事は、概ね好評価(もしくは賛否両論)であるが、何のしがらみもない我々OLの間では、ことごとく不評である。

「あんな終わり方ってない」
「本当にがっかり。時間を返して欲しい」
「ルールを守らない時点で最低」
「最後で超つまんなくなった」
「ここまで引っ張り回してさ『私の人生』って何様だよ」
「もう杉ちゃんでいいじゃん」
「他のバチェラーみたいに、付き合ってみて別れてもいいじゃんねー」

週明けの月曜日、昼休みに飛び交った会話の一部である。

ああいった配信番組の何を以て“成功”または“失敗”と評するのかは、様々な立場・見方があるだろうが「面白かった」「楽しかった」という、視聴者の好意的な満足感をひとつの指標とするならば、“ 失敗”と評されてもおかしくはないだろう。

 

実際、最終回後のアフタートークまで観終わって私が最初に思ったのは

(うわー…福田萌子さん、最後の最後で株を落としたな…)

という、今後の萌子さんに対する心配だった。

もちろん、傷心を抱える杉ちゃんの今後の作品・活動についても心配はしたけれど、今シーズンで最も好感度が上がったのは杉ちゃんだったし、何よりどんな物事も多角的に(それもポジティブに)捉えられるお人柄を見てきたので、どちらかというと杉ちゃんに対しては期待を込めて見送れる、そんな感じだった。

 

私が“萌子さんが株を落とした”と感じたポイントは3つある。

 

①ルールを守らない

②“ 私の旅”“ 私の人生”という自分本位さ

③正論でまとめるつまらなさ

 

①ルールを守らない

これについては2on1で例外的に2人を残した時点で言えることだが、リアリティ・ショーとは言え“ショー”である以上、番組の趣旨を理解した上で参加している訳だし、スポーツ同様、ルールを守って然るべきでは?とは思う。

何より《空気を読む》ことを執拗に求めてくる日本のメディアに対して《空気が読めない》《使いづらい》という印象を、番組を通して見せつけてしまったことは今後マイナスではないのかな、と。

 

②自分本位さ

サーファーの萩原さんが訴えていた通り、男性陣に“何故?”“どうして?”“矛盾してない?”と詰問する場面がありながら、いざ自分が詰問される側に回ると「これは私の旅」「誰かのための決断じゃない」「私の人生」の一点張り…まるで“あなたには関係ない”と言わんばかりのシャットアウト。

(…それを言っちゃあおしまいよ…)と思わずにはいられなかった…。

 

③つまらなさ

最近何かのワイドショーでロジハラ(ロジック・ハラスメント)なる単語が紹介されてたんですが、萌子さんの言葉は本当に良く考えられていて、英語の直訳のようにハッキリしている。逆に言うと遊びの部分が無くて面白みに欠け、ド正論過ぎるということ。畳み掛けられると、反論が一切出来ないくらいこっちが追い込まれる。全編を通して全く隙がないところが、エンタメとして非常に残念。

 

もちろん、これらに対して全く逆の意見があることもうなずける。

バラエティだからと媚びを売るような真似をせず、ある意味しっかりと正面からこの番組企画に取り組んだ姿勢に、共感した視聴者が多くいることも確かだ。

 

しかしながら、少なからず(番組製作者の演出により)最終回までの展開にドラマを期待してしまった身としては、非常に残念な結果となった。

多分に漏れず、すっかり杉ちゃん派として最終回に臨んでいたので「もう杉ちゃんに会えないと思うと悲しい」「話したいことがまだまだたくさんある」と涙を流す萌子さんに対して「だったら杉ちゃんと付き合ってよ~!」と叫ばずには居られなかった。

実際、その後観たドラマ『リモラブ』で主人公がチャット相手と付き合って「正直5mmも好きか分からないけど、この関係を終わらせたくなかった」と言い放つシーンで「そうよ!これよ!付き合う理由なんてこんな簡単な事でいいのよーーーー!!」と叫んだことはここだけの話。

結婚も出産も、ちゃんと考えてしまったら、あまりの先の見えなさに躊躇するものなのだ。

 

しかし一方で“ん?ここで杉ちゃんの恋が成就したら、これ完全に杉ちゃんの物語だよなぁ”と思ったりもしていた。番組の演出具合なんて、萌子さんは知る由もないだろうが、結果として杉ちゃんの物語になりかけていたバチェロレッテを、最後の最後で《福田萌子の物語》として取り戻した感もある。

話は戻るが、これは誰のための決断でもなく、萌子さんの萌子さんによる萌子さんのための決断だったのだ。

 

実は1話目から“萌子さんは誰も選ばないんじゃないか”“あの中に萌子さんが認める相手がいるとは思えない”と周囲に話していた私。

何故なら彼女が最初から《真実の愛》なるものを掲げていたために、嫌な予感しかしなかったのである。

個人的に《真実の愛》というものは死ぬ時に見付かるものだと思う。いよいよ今際の際という時に、とある誰かやとあるエピソードがよみがえってきて(ああ…あれが私にとって真実の愛だったのね…)と実感するようなものではないのか。

そんなものが2ヶ月あまりで見付かるはずもない。万が一の可能性として、萌子さんが死に際に思い返すのが、この番組での出来事になるのかもしれないが。

 

うーん…“リアリティ”という部分で言えば、すごくリアルだったけど、やっぱりショーというかエンタメとして楽しみたい下世話な自分がいるので、次のバチェロレッテは恋愛体質で惚れっぽい、引っ掻き回してくれるような女性がいいなぁ。

最終回配信後の萌子さんのインタビューで「あれ?このまま男性陣に任せてたら、誰も好きにならないな。こっちから好きになるように努力してみるか」と、途中自ら方向転換していたことを明かしていて、心底ガッカリした。萌子さんは旅を通して、真実の愛どころか誰に対する恋心さえ見いだせなかったのだ。

これはバチェロレッテにとっても参加男性にとっても非常に残念なことだ。次はせめて恋に落ちる過程を見せて欲しいと願う。

 

 

 

彼女が会社を辞めたワケ。

今年1月に入社した新人さんが、7月末で退職した。

結論として、彼女の《本当の》退職理由は分からない。

分からないから、もやもやするので書く。

もしもう一度彼女と話す機会があれば、本当のことを話して欲しい。

絶対に絶対に責めないから教えて欲しい。

それほどに私は彼女の退職を悲しく思っている。

 

彼女の経歴

出身地である北陸のディーラーで働いたあと、結婚を機に上京、その後コールセンターを経て、今年1月うちの会社に入社した。

募集しても募集しても人が集まらない中、好感の持てる接遇と資格取得に意欲を持った素晴らしい人材だった。

コールセンター業務では、シフト制のためご主人と休日を合わせることが難しく、日曜が定休のうちの会社でぜひ働きたいとの話だったようだ。(私は面接に参加していない)

 

入社後の彼女

正直入社が1月というタイミングは、うちの会社は繁忙期の始まりにあたり、そこから5月くらいまで忙しい時期が続くので、いきなりそんな忙しさを目の当たりにしたらすぐに辞められてしまうのではないかという懸念もあった。

しかし彼女のいたコールセンターに比べれば、事務所内の殺伐とした空気も軽いものであったようで、しっかりと丁寧に仕事を覚えてくれた。マイペースということもなく、きちんとスピードも意識してくれた。比較的オタクが多い職場で、アニメや漫画の話にも参加していたし、雰囲気も会社に合っていたように感じられた。

仕事もできるし、電話応対も抜群だし、本人の仕事に対するやる気も感じられたので、私も含めた全員が「まあ、あと5~6年は安泰だな」と漠然と捉えていたのだった。

 

突然の退職

7月末、彼女が初めて体調不良で会社を休んだ。

月末ということもあって、休まれることは会社にとっては痛手であったが、私は個人的に元々彼女が重い生理痛を抱えていることを聞いていたので「入社から半年も過ぎたし、緊張からそろそろ不調が出てもおかしくないよなぁ」などと思っていた。

週明け、午前中は事務長と何やら話していたが、やはり体調面で相談をしているのだろうと思っていた。会議室から出てきた彼女は、いつもと変わらず積極的に電話に出て、事務処理もこなしていた。

しかし事務長から社内メッセで通達されたのは、彼女が今月末で退職するという内容の文書だった。退職理由は「クライアントからの電話に耐えられない」というものだった。

 

クライアントからの電話に耐えられない?

まあ、例えばこれが特定の会社からの電話についてであれば「その会社からの電話は出なくていいよ」と言えたかもしれない。

しかし彼女が発したのは、うちの会社の売上の98%を占める、大手不動産会社の名前だった。それを出されてしまったらすべての電話に出られないし、頼める仕事がなくなってしまう。

もちろん、彼女の言い分も分かる。TVCMも流しているような大手不動産会社だが、とにかく横柄で人間性や社会性を疑うような人が多いのが実情で(当然ちゃんとした人もいるけど少数)こちらはいつも無理難題を押し付けられているのだ。何回も何回も「この日までに内装は終わらない」と説明しても「入居日が決まってる」の一点張りで、挙げ句うちの社長に泣きついて、社長からも「なんとかしろ!」と言われるばかり…こんなことをずーっとずーっと毎日毎月毎年やってるのだから疲弊もする。

しかしコールセンターで5年も働いていた彼女が、その不動産会社からの電話だけでパニック障害の初期症状に陥るまで追い込まれるものだろうか?

 

私達は彼女に騙されていた?

勝手な想像だが、コールセンターのほうがよっぽど様々な無理難題を押し付けられたり、罵詈雑言を浴びせられることが多いのではないか?

更に彼女の前職の退職理由は「休みが不定期」という部分で、仕事内容が理由ではなかったはずだ。

ここまでくると彼女への疑いが頭をもたげてくる。

  1. そもそもこれまでの経歴に嘘があった
  2. 電話に対する不満は建前で、他に退職理由がある

やはり2の可能性が圧倒的に高いであろう。

同僚のNさんは、彼女の指導係であったPさんの当たりが強かったのではないかと分析していた。

確かにPさんは“部下にすれば優秀で助かるけど、上司にしたら気難しくて扱いづらい”タイプの人である。仕事はきっちりこなすが、それを周囲にも求める、いわゆる「圧が強い」のである。

しかし彼女自身は「自分は仕事をしている」という自負があるため、自分が原因だとは思っていない。同時にもし自分が原因だとしても、この程度の自分についてこれないなら早々に辞めるべきと捉えているフシがある。これは本当に難題であるのだが…。

 

本当のことが知りたい

しかしPさんが原因ということは憶測に過ぎない。彼女はあくまでも電話応対が苦痛ということを理由に退職してしまったのだから。

でももしPさんが原因であれば、第2第3の退職者を出さないためにも対応を考えなければならない。もしかしたらPさんですら理由ではなく、会社全体の、根本的な何かが間違っているかもしれないのだ。

 

だから本当の退職理由を教えてほしい。

前日まで「繁忙期までに色々仕事を覚えたい」と言ってくれていたあなたに。

彼女の退職が残念でならない。

結局、元の会社に出戻った話。

という訳で、2年で元の会社に出戻ってしまいました。

正直、むちゃくちゃ恥ずかしい。

たった2年で?なんで一度退職したんだよwwwって自分でも本当にそう思う。

お騒がせしましたって気持ちでいっぱいです…。本当に申し訳ございません…。

 

改めて、辞めた理由を考える

紛らわしいので、一度辞めたけど出戻った会社をAとし、2年で辞めた会社をBとします。

 

いや、本当なんでAを辞めたの?って思われると思いますが、当時は本当に転職したくて仕方なかった。一番大きな原因は社長。そしてその会社にまったく来ない社長に代わって会社を取り仕切っていた経理のおばさんだった。我々女子事務員はその威圧的で感情的なおばさんの下で萎縮しながら仕事をしていたのだった。

 

そんな状況下だったから、A社では2ヶ月に1人のペースで退職者が出ていた。

その事実に気付いた社長が、ある日社員全員に「業務改善提案を出せ」って言ってきた。そのタイミングが繁忙期真っ只中でアホかと思ったけど、私はチャンスと見て寝る間も惜しんで提案書を作成し、期日内に提出した。とにかくどんよりと重苦しい状況下で若い女の子たちが声を上げることもできず働いている事実を変えたかったのだ。

 

しかし、状況は何も変わらなかった。どころか提案書を受け取った社長は「本城さんは会社を辞めようとしてるのではないか」と他の事務員に聞いて回っていたらしい。アホらし。そう受け取ったなら辞めてやるわと思った。それが2年前の話。

 

間違った転職

今、まさに転職を考えている人。将来的に転職を見据えている人に全力で伝えたいのは

  1. 相手の要望に応えるのではなく、自分の要望を伝えること
  2. 結局のところ、入社してみないと何も分からないということ

この2点だ。

1はなかなか難しいことだと思うけれど、せっかくの転職なので肝に命じてみてほしい。逆に転職先に何の要望もないという人は転職を一旦保留することをお勧めする。

“こんなことを言ったら内定もらえないんじゃないか”などと自分を卑下することはない。そして、要望を伝えた結果、内定がもらえなかったとしてもそれは逆にラッキーだと思ってほしい。転職に際してあなたの要望は最優先で叶えられるべきものなのだ。

2についてはどうしようもない。だから諦めてほしい。ちなみに私の場合は、社長がどうしようもない気分屋で、機嫌の良し悪しで昨日の○も今日は×になるような人だった。正直これは面接時には分からなかったことだ。

 

アラフォーに立ちはだかる転職の壁

気分屋の社長からのパワハラ発言の数々、朝5時までの残業、それでも出ない残業代など、度重なるマイナスで入社1年目にはもう退職を見据えていた。

「センスがない」「判断が悪い」「察しが悪い」と言われ続けていたので、もう建築からは離れたいとも思っていた。しかし建築系以外の職種ではまったくと言っていいほど面接まで漕ぎ着けない。軒並み書類審査で落とされていた。

もうこの年で私の手にある職といったら建築しか残ってないのだった。向いてる向いてないじゃなくて、始めてしまったからには続けるしかなくなっていたのだった。ここが若い頃の転職と中年の転職の大きな違いである。

そんな愚痴をA社に勤めていた頃仲良くしてもらっていた、一回り以上も年下のE子ちゃんに聞いてもらっていたら、実はA社が今危機的状況であると聞かされた。

なんと、永遠に蜜月関係なのだろうと思われていた、経理のおばちゃんと社長が決定的に対立し、おばちゃん側が会社の主要メンバーを道連れに退職したというのである。

その結果社員数はほぼ半分となり、おばちゃんが一人独占していた経理職不在のまま、残された者たちで日々業務をこなしているとのことだった。

「私の一存じゃ決められないけど、本城さんが会社に戻ってきてくれたら嬉しい」

と言ってくれた。そして私もたしかにそれも良いかもなぁ…と思ってしまった。おばちゃん軍団とは馴れ合うつもりもなかったけど、それ以外の人たちとは良好な関係を保っていたし、自分に求められていることもよく分かっていた。しかし、元を正せば社長に愛想を尽かして退職した経緯があるので、一度社長と話してみないと決められないという気持ちもあった。

私の気持ちを見透かしたE子ちゃんが「とりあえず社長に話してみてもいいですか?」と言ってくれたので、そのままお願いすることにした。それが出戻りのきっかけである。

 

出戻って、良かったです 

実は社長との面談の手応えはあまり良くなかった。根本的な逃げの姿勢は変わっていなかったし、終始対立して出ていったおばちゃんの悪口ばかり言ってるし。誰がそのおばちゃんに権限を与えていたんだよと思わずにはいられなかったが、社長以外のみんなが「戻ってきてくれたら嬉しい」と言ってくれたのが心に染みて戻ることにした。

どこかの大手メーカーも出戻り社員を歓迎しているというニュースを見たけれど、たしかに会社にとっても出戻る側にとってもメリットは大きいと思う。

私は何よりメンタル的なものがぐっと楽になった。まず、デザインの仕事をしているのが私だけなので、私の作ったデザインを判断する人が誰もいないということ。そして通勤時間が短くなったうえ、残業時間が減り、残業代がつくこと。更に人間関係が既に出来上がっているので、イチから関係性を築く必要がなかったこと。

“私、二年後にタイムスリップしてきた?!”ってぐらい初日から馴染みまくって、違和感なく仕事できてしまったけど、それでもあの2年が経験できたからこそ今の立場が得られているというのも大きい。

 

もう転職はしたくないし、同じ給与ではできないと思うので、この会社でマイペースに仕事を続けて行けたらと思います。安泰な会社でもないけどね。その時はその時さ。