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*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

ドラマ『あなたのことはそれほど』第1話感想。

5年付き合って、最初の結婚をした。

でも、結婚して2年目には夫以外の人を好きになってた。

だからこのドラマはとても胸に刺さる。過去の自分の「結婚という過ち」を、まざまざと見せつけられているような気がして。

 

私もみっちゃんと同じで「なんだかときめかないけど、きっと結婚ってこういうもんなんだろうな」と思いながら結婚した。ちゃんと仕事があって、両親に愛されてて、私を好きだと言ってくれる優しい人。きっとこういう人と結婚するのが一番で、そういう人と出会えた私は幸せ者で、だから結婚したら幸せになるんだろうなと思った。周りからも「おめでとう」とたくさん祝福されて、やっぱりこれが正しいんだ、これが俗に言う普通の結婚なんだと、漠然と考えて結婚した。

 

そうやって結婚して上手く行く人も、もちろんたくさんいるだろう。でも私は上手く行かなかった。あの頃は、流れでああやって結婚するしかなかったけど「こういうもんなんだろうな」と思いながらも、1ミリも幸せな結婚生活とやらを想像出来なかった自分にもっと疑問を抱くべきだったとは思う。掃除をして洗濯をして料理をすることは、これっぽっちも結婚生活とは関係がなくて、同じ布団で寝ることも、手を繋いで同じ家に帰ることも、おはようとおやすみを毎日言い合うことも、別に結婚生活では無かった。じゃあ何が結婚生活なんだろう。私が結婚に向かなかった事だけは確かに分かったのだけれど。

 

私は、自分が信じられないし、相手も信じない。愚直に人を信じられる人間も胡散臭くて信じられない。それでも今の私は、ちゃんと半分幸せで半分不幸せだ。突然打ち切られる幸せに怯えて、何処かで覚悟して生きてる。ドラマの結末はきっと誰もが報われないんだろうけど、実際には誰にも幸せの尺度なんて分からない。でも自分の幸せに、他人の不幸せを踏み台にしない為にも、一人で掴める幸せの尺度は早いうちに見極めた方がいい。ずっととか永遠はここに存在しないから。

 

 

本音とか建前とかお世辞とかマナーとか。

さて。

昨年記事にも出した、妊活宣言をしていた一番若い女の子が退職してしまった。残念ながらおめでた退職ではなく、心因的ストレスによる突然の退職となってしまった。つまり不登校ならぬ《不登社》である。

 

本当にそれは突然に訪れた。週が明けての体調不良による休みが、2日続いたその夜、例の還暦ババアが「あいつもう来ないから」と言い放ったのである。その日は残業して皆で彼女の残していった荷物を小さな箱に詰めて、無情にも着払いの伝票を貼り付けた。覚えることの多いこの職場で、彼女が必死に、ギリギリまで控えていたメモをシュレッダーに掛けながら、親しくもなかった私ですらちょっぴり涙が出そうになった程である。

 

私は本当に気付かなかったのだが、例の妊活宣言以来、職場での彼女の立ち位置は危ういものとなっていたようである。そもそも妊活前言を機に「辞める」という結論を出していたのだから、辞める会社に何も義理立てする必要はなかったのに、私のような会社の端くれにはいつもと変わらない彼女しか見えなかった。親しかった還暦ババアにもAさんにもBさんにも、ずっと変わらない口調で、いつもと変わらない話題で、盛り上がっているように見えていた。それが突然、還暦ババアともAさんとも話したくない一心で、いきなり電話口で社長に退職の意思を告げて、二度と会社には行けないと言ったというんだから、どれほど我慢していたんだろうと思う。

 

Eさんの荷物を一緒に片付けたCさんと一緒の帰り道、私は「(そもそも妊娠の時期をずらしてと言った会社の頭がおかしいのはさておき)妊活宣言なんてしなくて良かったのに」と呟いた。それに対してまだ20代前半のCさんは「Eさん、真面目なんですよ」と返してきた。…え?真面目だと会社に妊娠の許可も取るの?とアラフォーのおばさんは思ってしまった。いつからそんな風潮になったの?妊娠はいつも突然に、じゃなかった?

 

今回のEさんの退職騒動で、Eさんと一番親しかったBさん(やっぱり20代)からも話を聞く機会が出来た。どうやらBさんも還暦ババアの頭の悪さや、そんなババアを何故か心から崇拝しているAさんについて行けないと感じているらしい。しかしながら、職場では還暦ババアがはまっているというかぎ針編みに一緒になって参加したりだとか、Aさんの観ているドラマについて毎週感想を言い合ったりとか、彼女たちを嫌っている素振りなどまーったく感じさせないのである。「あんなの建前に決まってるじゃないですか。そうでもしないと、仕事やりづらいし」とBさんは言う。いやいやでもちょっとやり過ぎじゃない?とおばさんは思う。きっと、辞めてしまったEさんも、そういう《社会の建前》を深く履き違えてしまって心を壊すことになってしまったんじゃないだろうか。プライベートにまでやりたくないことが、仕事の延長として入ってきてしまう…彼女たちはLINEでも繋がりがあったから、より日常への強制力が働いてしまったのかもしれない。でもそれって何だか中高生のコミュニティと何にも変わりないじゃないか。

 

Eさんに辞められてしまったことで、Bさんはますます辞めづらくなってしまったと言った。だから私は「いつでも辞めて良いんですよ、こんな価値もない会社」と言ってあげた。「困らせてやればいいんですよ」と。私がそんなことを言うとは思っていなかったようで、Bさんはとても驚いていたけれど、伊達に長く生きてはいないのである。駄目になる時は駄目になるし、駄目だと思った時に何とかなるのも会社だったりする。申し訳ないけれど、絶対に必要な誰かなんて存在しないのである。自分も含めて。

 

本当にひどいのは、半世紀以上も無駄に生きている還暦ババアである。Eさんの結婚祝いには立派な高級ガラス細工のペアオブジェをプレゼントして、自分のセンスの良さをアピールしたり、可愛がっていたEさんに対して「あいつは元々頭が悪いところがあって、今回も会社に損害を与えるような意味不明なこと(繁忙期に妊娠したいと言ったことを指しているらしい)を連発した挙句、自分を通り越して社長に直談判してもう会社に来ないとか言いやがった、ふざけんじゃねぇ」とかほざいている。どっちが頭悪くて意味不明なこと言ってるんだよ、おめーだろと言いたいところを「(あなたの頭が)心配ですね」と言ったら、「本城さんは優しいわね」だって。あほらし。

 

還暦ババアの物言いに対し、心にも無いことを返す必要は無いのである。それを最近の若い子は建前とか付き合いとかと履き違えてしまっているように思うのだ。私の「(あなたの頭が)心配ですね」という返しのように、本音でありながらも、相手によってどうとでも受け取れる文句で自分の心を守る術こそが建前であり、大人のマナーだったりする。それを「本当にEさんはひどいですね。還暦ババアさんの仰るとおりです」なんて心にも無さすぎて反吐が出るような台詞は建前とは言えない。自分の心を傷つけるだけである。

 

仕事や会社なんて、生活の為、自分の為に必要なだけであって、道具によって自分を傷つけたり苦しめたりするのは本末転倒である。それでなくてももう人材不足の波は業界を問わず襲っていて、会社が人を選ぶ時代から、人が会社を選ぶ時代になっているのだ。ましてや20代の若くて働ける可愛い女の子が、傷付いていい場所じゃない。もっと自分が楽な方向に楽な方向に流されていって良い。良いんだよ。

理不尽との戦いは諦念との戦いでもある。

理不尽----物事の筋道が立たないこと。道理に合わないこと。

 

先日若い女の子に「本城さんみたいに努力をしてる人が、都合の良い様に遣われてるなんて理不尽ですよ!もっと権利を持って下さいよ!」と言われて、その有り難さに涙したけれど「そうだなぁ、大人になると言うことはこの大概の理不尽さに対する怒りを諦めるという行程であったなぁ」と、怒りを持てる若者に敬意と憧憬を抱かずには居られなかった。

 

思えば、幼い頃から理不尽には何度も抵抗し、虚しく敗退していた。例えば、まだ遊んで居たいのに親の買い物には同行せねばならず、かといって買い物先では欲しいものを与えられる事もなかった。親同士の噂話に首を突っ込めばたしなめられ、憧れの服を身に纏えばはしたないと着替えさせられた。そうこうしているうちに疲れてきて、いちいち小言を言われるのも面倒なので、徐々に抵抗しなくなっていった。もしくはもっと悪知恵を働かせて、親や周囲に隠れてコソコソとするようになった。

それに比べると我が相方こと旦那様は強くて、未だ全てに怒りを持って対峙し続けているのだから凄い。私がもう疾うに諦めてしまった理不尽さに啖呵を切ってくれるのが清々しい。だから私は彼といることを選んだのだが。

 

話が反れたけれど、理不尽さに抗う若者に我々中年世代は敬意を持つべきであって、決して軽んじてはならない。何故なら彼らは真っ当で正論で、恐らくは《そうであったほうが良い》のだ。初めて勤めた会社で先輩に「売上が上がると分かっていることは全てやるべきだ。それを上司に反対されても、自分が正しいと思うなら上司の上司に言ってみろ。それでも反対されて、それでもやりたいと思ったら社長に話してみろ。それでも反対された時はこの会社を辞めろ」と言われたことは今でも糧になっている。長く勤めるとどうしてもルーチンワークに満足して、新しい発想が生まれてこない。過去の成功体験にしがみついている自分に気付かないことも多い。《若者》であり《新人》であるという特別な時期はそう長くもない。だからこそその時に感じた社会の理不尽さ、世間の理不尽さはずっと抱えて持っていた方が良い。その理不尽さを年月を重ねてちゃんと温めて分析して見直して、時間を掛けて諦めるのではなく、時間を掛けて解決する方法を探っていくのだ。あの時に感じた、暴力にも似た理不尽さは、間違いなく世の中の欠点で、誰もが「おかしいな」と感じているにも関わらず飼い慣らされていくものだからだ。

 

中年世代のやるべきことはただひとつ。若者や新人が働きやすいシステムを構築すること、これに尽きる。知らないことは勉強し、真似るべきところは真似る。駄目なら駄目で、そこからまた新人と共に学べば良い。もしくは責任を負えば良い。それが本来の上司・社長のやるべきことで、仕事を取ってきたり、仕事を教えたり、叱責することではないのだよなぁ。なんでそんな簡単なことに気付かないのかなぁ、うちのバカ社長は本当に不勉強だなぁ…と思うのである。

 

さて、権力を持って下さい!と言われた本城さんは、年下の先輩にどう応えたのか。

 

「時が来れば…多分。うん。もう少し待ちましょう」

 

いきなり言っても駄目なのだ。今の会社になった経緯に、バカであろうが理由はあり、積み重なってしまった関係や、邪なプライドや見栄が地層のように折り重なっているのが分かるのが、中年の強みというか経験の成せる業。自分が言うべき人間であれば、言うべき時が来るのが人生の妙だと分かっている。根回しや見えないところでの爪とぎが、来たるべき時に必要なのだ。

 

なーんて表向きには書けるけど「時が来れば」と応えた時の私の“時”とは、社長か経理ババアが死ぬか、部長クラスが過労死するか自殺するかでもすれば、この会社は解散するでしょという考えの“時”だったりする。満員電車内で言葉にするのはさすがに憚られたので、敢えて「待ちましょう、大丈夫です」なんて言ったけど、こんな碌でもない会社は時間に淘汰されるのが関の山だ。残るか残らないかはまさに今年が正念場だと思ってる。社員はみんな思ってるのに幹部がそれに気付いてないなんて、愚かさを超えて哀れで、哀れだからこの会社に付き合ってやってる人がいることも知っている。助けられるなら助けたいけど、助ける価値もない会社なのか見極めるためにここに残ったのだ。

 

さてさて、どう出るかな。

学生時代に戻りたい。

今日整体を受けていたら、整体師のお姉さんから「去年の今頃はまだ大学生だったんですよー。1年でいいから学生時代に戻りたいって友達と話しててー…」という世間話に。眠かった私は適当に話を合わせて「そうですねー。時間はたくさんありましたねー。」などど相槌を打っていたのだが、内心(学生時代に戻りたいなんて思ったことねーな。つーかお姉さんこの仕事辛いのかい?)などと思っていた。

 

学生時代なんて言わなくても、20代でも30代でも、私は過去に戻りたいと思ったことが一度もない。自慢じゃないけど好きな仕事しかしてないし、今が一番楽しい。学生時代なんてお金も無くて、時間だけはあるけど不自由だし、何のかんのと他人ばかり意識して精神的にも疲れたし、お世辞にも良い時代とは言い難い。もちろん若い時にしか出来ないことは山ほどあるし、思い悩んで刺激を受けたことが今の自分を形作っているし、無意味・無駄なんて思わないけど、戻りたいほど楽しい時代ではなかった。そう考えるとお姉さんの学生時代は大層楽しかったのだろうなぁ。それともやっぱり整体師という仕事は、思い描いていた自分の未来とはかけ離れているのだろうか。だとしたらとても残念だとおばさんは思う訳で。まだ若いんだから転職でも何でも好きなことに時間を使ったほうがいいよー!なんてお節介に言いたくなってしまうのです。

 

今の職場では10以上も年下の女の子たちと仕事をしている。やれ彼氏がどーした、結婚がどーだ、出産がどーだ、あいつがムカつく、何であの人は分からないの?何でもっと効率良くやれないの?…と、まあ毎日エネルギーを放出している感がある。自分の20代を振り返ってみても、傲慢で怒りと嫉妬に満ちた20代だったから、おそらく20代ってそういう時期なんじゃないかなと思う。それが30代の前半くらいまで続き、徐々になんだか細かいことがどうでも良くなって、執着みたいなものが薄らいで、自分との折り合いがついてくるから不思議だ。聖人じゃないから、もちろん上手くいかないことの方が多いし、自分の責任で損害は出るし、不用意な一言で他人を傷つけてしまったりもするし、瞬間的に怒りが湧くこともあるけど、家に帰って猫にごはんを上げて、自分のご飯も適当に食べて、猫とゴロゴロしながらニュースなんか観ていると「今日って何かあったっけなー」なんてすっかり忘れているのだった。忘れるなんて良くない!と言う人もいるだろうけど、世の中の大半は忘れなければ生きていけない。否定して生きていくより、肯定して生きていくほうがよっぽど楽で、この歳になるとついつい楽な方へ流されてしまうのだ。

 

そんな風にぼんやりおばさんをやっていると「本城さんはいつも穏やかでいいですねぇ」と言われる。この物言いには2通りあって、一つは言葉通り良い意味で、悪い人は悪意を持って(ったく、このおばさんは能天気で呆れるわ!)という意味を込めて言ってくる。「あなた達も歳を取れば分かるわよ」なんて適当な言葉を返す本当のおばさんにはなりたくない。というか、自分より年上でもよく分からないゴシップニュースに一喜一憂したり、大勢を鵜呑みにしたり、勉強しようとせず上辺だけ取り繕ってる大人もたくさんいるから、「そんなことないです」と苦笑いを返すことにしている。それは暗に「あなたの人生なんて私にはこれっぽっちも気になりませんよ」という最上級の冷たさであったりするのだった。

 

とにかく、2匹の猫に挟まれて温々とこの文章を書いている今が一番幸せなのである。

転職という名の駆け引き。

さて、年末年始に転職を考え始めて、実際に転職サイトに登録したり、転職エージェントの面談を受けたりしました。我ながら意外と行動力は持ち合わせているのです。

 

実際は最近の求人事情や、自分の市場価値を確認して、無理そうであれば意地でも今の会社で正社員にしがみついてやると思ってました。世帯主ですし、猫もいますしね!こっちは生活かかっているんで。

転職エージェントさんから言われた意外な一言は「年齢は特に気にされる必要ないですよ」とのこと。営業トークかもしれませんが、こちらも大人なので「そうなんですね、安心しました」と返しておきました。

求人も相変わらず面白い仕事がけっこうゴロゴロしていて、ちょっと眺めるだけでは物足りなくて実際に応募してみることにしました。採用されるか分かりませんし、こっちだって本当に希望に適った会社か確認してみたい。

 

しかしながら、今の会社にはそんな素振りを一切見せていません。元々、4月の昇給を以て自分に対する会社の姿勢を確認し、それに不満があれば転職しようと考えていたからです。つまり、今の会社が自分をどう考えているのか、そこがまだ測りかねているところなのです。

もしかしたら「生活があるので、もっと給与も待遇もいい会社に転職を考えています」と切り出したら、慌てて昇給や待遇を見直してくれるかもしれない。40という年齢も考えると、新しい職場でまたイチから新人として出直すよりも、勝手知ったるこの場所で業務改革を推進するほうが面白いかもしれない。

そうなると懸案となるのは退職金制度がないことと、何より社長の人間性が嫌いだし、このところ社員は増えないのに業務だけ拡大するという末期的な疲弊を助長しているので、会社の将来性が疑われるところであろうか。(何だか転職するのに十分な理由が揃っているようにしか思えないけど)

逆にこれまでの人材切り捨てを鑑みるに「給与や待遇に不満がある?資格も取らせてやったのに、恩を仇で返すとは不貞野郎だ、今日限りで辞めちまえ」と言われる可能性も十分にある。そうなると転職が決まる前に退職を迫られるかもしれない。それだけはあんまりにも危ない橋なので渡りたくないなぁ。

 

そんな訳で、うまい立ち回り、駆け引きをしっかり進めなければならないのでした。

正直に焦らずブレずに行きたいと思います。

ドラマ『東京タラレバ娘』に少しがっかりした件。

※原作コミックは読んだことがありません。

 

何を期待してドラマを観たんだと言われればそれまでだが、ドラマ『東京タラレバ娘』は何だか肩透かしを食らってしまった。古い。とてもバブリーな時代の香りがする。今時“イイ男”を待っていて気が付けば三十路―というのはともかく、そこから結婚→出産に向けて焦るというのはどうだろう。前クールで一世を風靡した『逃げるは恥だが役に立つ』が先鋭的な社会派ドラマ(就職難・事実婚・シングルマザー)だっただけに、とにかく男!結婚!出産!という主人公の人生目標が、『東京ラブストーリー』やW浅野時代を匂わせるのである。1話を観ただけだけれど、主人公も含め三人とも処女という訳でも無さそうだし、男性経験があるのにそれほど結婚に対して夢物語を描けるのも何だか不自然だ。真剣に結婚→出産を目指している最近の若い女性は、かなり計画的に動いているし、 しっかり現実を見据えている。結婚=幸せという構図より先に、育児のために貯金を考え、貯金のために仕事を続ける…20代前半で結婚を決めた彼女たちは実に堅実で、堅実な恋愛を経ている。だからどうしてもタラレバ三人娘に共感が出来ないのだ。

 

今期の新ドラマでは、意外にも『突然ですが、明日結婚します』の方が恋愛ファンタジーの中に上手くリアリティを染み込ませていて見応えがある。というのも、主人公の目的が明確(専業主婦・子持ち)で、それを夢と語りながらもしっかりと「今時は恋人が煩わしいとか、自分の時間を失いたくないとか、結婚しても共働きがいいとか、色んな恋愛・結婚感がありますよね。(でもそんなご時世でも私の夢は専業主婦なんです!)」と、現実的な前提を肯定しているからである。更に彼女は結婚相手を“イイ男”に限定している訳でもない。寿退社を前提に浮ついて仕事をしている訳でもない。この堅実さが同性としても彼女を応援したくなる要因となるのだ。

 

それと比べてしまうと、タラレバの倫子は仕事も半端、恋愛も半端で高望みだけが空回りしている印象。これぞタラレバ娘と言われればその通りだけど、同年代の視聴者が共感したり、憧れたり、活力を得たりするようなこの頃流行りのドラマとは言えないんではなかろうか。

 

とは言え、酸いも甘いも噛み分けたバツイチ40女の感想なので、タラレバ娘たちの未来の可能性に嫉妬しているだけかもしれない。大島優子アンダーリムの眼鏡がとても素敵で、アンダーリム眼鏡を探しに街へ出たりもした。全体的にファッションやインテリアにはこちらをわくわくさせるものがあるので、できれば最後までこのドラマを見届けたい。

逃げるは恥だが役に立つ。

※流行ったドラマと全くの無関係…ではありませんが、主に私の話です。

 

 

逃げるは恥だが役に立つ

 

初めてこのタイトルのコミックスを手に取った時、私は額面通り「逃げても良いのだ」という意味で受け取った。その他、表紙全体に散りばめられている熟語群(永久就職・少子化事実婚etc…)にも惹かれた。何故なら私は離婚した直後で、ありとあらゆる【世間体】から逃げている真っ最中だったから。

 

海野つなみ先生の著作では『回転銀河』も好きだ。その頃私は結婚していて、他に好きな人がいた。浮気がしたかった訳ではない。気がついたら好きになってしまっていて、この誰にも言えない罪悪感をずっしり腹に抱え込んでいた。浮気や不倫を責め立てる既婚者たちに対し“何故自分は夫または妻以外と、金輪際恋に落ちることなどないと断言できるのだ”と怒りを持って問い質したかった。『回転銀河』に出会ったのはそんな頃だった。

 

『回転銀河』は不思議な恋愛オムニバスで、禁断の恋を描くにも、そこには情熱や障害というより、氷点下の水が常に足裏を浸しているような、冷たい現実を受け入れながらそれでも尚愛を育まずにはいられない両者が淡々と描かれていた。傷つけて初めて気付くという既に叶うはずもない恋心、誰かを好きな彼女が好きという報われない恋など、海野先生の描く物語はチクチクと私の胸を刺して、同時に励ましてもくれた。決して知られてはいけない、気付かれてはいけない恋をしているのは自分だけでは無いということを。抱えている罪悪感こそが贖罪であるということを。

 

意外にも、この時インターネットは何の救いにもならなかった。相談内容は圧倒的に浮気をされた妻、もしくは既婚者を好きになってしまった独身女性で占められていて、更にその大半が怒りを伴った投稿内容であり、立場上怒りをぶつけられる側にあった私の悩みをより深くするだけであった。 

 

逃げるは恥だが役に立つ』は、そんな縁のある作家さんの作品でもあったから、また少し助けてもらう気持ちで手に取った。世間体や倫理観や道徳や常識と呼ばれるものから逃げ出した私に、都合の良い何かを与えて欲しかった。

 

相変わらず、海野先生はそんな生半可な理想郷など安易に与えてはくれなかったが(『回転銀河』だって当然の現実を指し示していただけだった)、それでも“就職→恋愛→結婚→出産”という、私達の親世代には至極まっとうな女性の幸せが多様化していて、更に今まさにそれが複雑だという現実をぽんっと表に出してくれた。

 

正社員だけが労働者ではない。家事は妻の仕事ではない。結婚がゴールではない。

 

作品として誇張されている面は多々あれど、今は本当に幸せの二極化が進んでいて、それがどうにも互いに相容れない。結婚をして子供を産み育てることが幸せと考える人と、自分の時間やお金を自由に使うことが幸せと考える人とが、それぞれまとまった数になってきているにも関わらず、お互いの主義主張を認めるに至っていないのが現実だ。

私は現在アラフォーでバツイチで子供がいなくて事実婚状態でとても幸せな訳ですが、こう書いてみてもやはり強がりにしか聞こえず、客観的にも負け組の要素しか感じられない。それはやはり私の両親の期待を多大に裏切っているという罪悪感が大きく影響しているように思う。また、実際に「本城さんだって、これから子供が出来る可能性だって十分あるし」とか「○○さんが籍を入れるらしいからお祝いしよう」とか言われることがある。結婚して子供を授かることが全女性の希望であるかのごとくに。面倒くさくて「そうですねぇ」と適当に相槌を打っている私もいけないのだろうか。もっと声高に「そこに私の幸せは無いんですけどー!」と叫ぶべきなのだろうか。

 

結論として、私は“安定した主婦業”から逃げ出して、今までにない幸福感に満ち溢れている。負け惜しみだと言うなら言えばいいし、他人の人生を踏みにじった人間が幸せだなんて赦せるものかと怒れる人は怒ればいい。この先に大きな悲しみが待ち構えているだろうけれど、その時の為にもこの幸せをしっかり実感しておくのだ。悲しみや辛さの中でも、今の幸福を思い出せるように。この幸福を糧にする為に。

 

逃げるは恥だが、少なくとも私の人生においては役に立ったと思います。