*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

夏。それはアンニュイ。

小学校5年だか6年の夏に、一度だけ“7月中に宿題を全部終わらせる”という目標を立てて、完遂したことがある。今となってはそれが自分の思い込みに依るものなのか、実際の出来事なのか定かではないが、私の中では【目標を立てる→目標を達成する】ことが出来るという自信の一端を担っている。他人から与えられた目標ではなく、自分でやりたいことに向かって計画を立て、実践して、やりたいことを実現する力が自分にあるという自負―これを10代で得られたことは私の人生の中でかなり有意義なことだ。

 

還暦を過ぎた母が、最近自分の子育てを振り返っているらしく、「私の料理だと何が一番美味しいと思ってた?」とか「一番最初に住んでた家のことで覚えてるのはどんなこと?」とか、昔のことをよく聞かれるようになった。一度「私にこうして欲しかったとか思ったことある?」と聞かれて、当たり障りのない笑い話でごまかしたことがある。私は母似で、そんな母が苦手だった。母は私にとっていつでも反面教師だったのだ。結局どうあがいても血は争えず、私は母にそっくりなんだけど、それでも2つだけ守っていることがある。

 

1つは年齢を偽らないこと。年齢を聞かれて「いくつに見えます?」と絶対に聞き返さないこと。母はずーっと年齢を気にしている。例えば、ハガキで応募するような時、決まって実年齢より若く書いたり、私の名前と年齢で応募したりする。そんなこと無意味だと思うのだけれど、母にとっては重要らしく、私は幼い頃しばらく母の年齢を知らされていなかった。「お母さんはいくつ?って聞かれたら『はたちです』って言うのよ」と教えられて、その通りにしていたから、相手の大人たちはいつも笑っていた。「ゆかちゃんのお母さんは永遠のはたちなのね」と。

私はいつまでも年齢を気にする母親が理解できなかったので、年齢を気にしないように、年齢を恥じないようにしている。その所為か他人の年齢も気にすることが無いので、人の年齢を当てられた試しがない。だからすぐに「いくつに見えます?」「あの人、いくつだと思います?」と言ってくる人間は嫌いだ。実年齢がいくつであろうと関係ない。私にとってその人がどんな人か(気が合うのか・敵なのか・有益なのか)だけ意味がある。年上だろうと取り繕って敬うことはないし、年下だろうと私より先に入社していれば先輩として扱う。歳を聞かれたらすぐに答える。そもそも実年齢を聞いたあとのリアクションって困ったことしかないのに、みんなどうしてわざわざ聞くんだろうと思う。

 

2つめは「本当は○○したかった」ということを言わない・やらない。母は冗談が好きな人なので、半分は冗談だと思うのだけれど、よく「本当はお金持ちと結婚してベルを鳴らせば夕食が出てくるような生活をするつもりだった」とか「本当は大好きな推理小説を自分で書いてみたくて、ネタはいくつかあるの」とか言うのである。聞かされた方としては、幼心に「私が生まれた所為で母の夢を妨げてしまったんだな」と思ったものである。そんなことをあとから言うくらいなら、今からでもやればいいのにとも思った。だから私はやりたいことしかやっていない。漫画を描きたいと思ったから書いたし、投稿もした。一方で勉強も出来てスポーツも出来るオタクを目指して、成績は常に学年で5位以内をキープしつつ、運動部の部長もやりながら、同人誌を作ってイベントに出た。HPを作ってみたくてHTMLとCSSを勉強して作ったし、好きなラジオ番組のコーナーに出たくて応募して出演を果たしたこともある。最初の話に戻るけど、目標を立てて実践してそれを積み上げてきて、運の良いことにそれらは全て無駄ではなかった。そう振り返ることが出来る。そう思えるような半生に出来たことは、母に感謝しなければならない。

 

夏は家族についてよく考える。毎年両親の実家で半月あまりを過ごすのが恒例で、親戚同士で旅行に行くことも常だった。夏空を見上げるたび、渋滞の車窓から見続けた入道雲を思い出し、見知らぬ土地で出会った同級生と漕ぎ続けたブランコを思い出す。

 

やはり夏は苦手だ。