*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

選択肢が増えているようで減っている事実。

パソコンが壊れて、タブレットを買った。auのブックパスを見たら、読みたいと思っていた雑誌が読み放題で読めることが分かったからだ。自分が幼い頃とはずいぶん世の中が変わった。手元の板一つで気になったことはすぐ調べられるし、見逃したドラマは見れるし、買いたいものは家に届くし、読みたい本も読めるようになってしまった。情報過多で、情報は与えられるものではなく、選び取る時代になった。“検索”だ。検索----その手段によって、並べられる情報は随分違ってくることになる。

 

だからこそ、こちらはたくさんの選択肢の中から情報の取捨選択をしているつもりであっても、実は相手にとって都合の良い情報を選び取らされている可能性があることに気がついた。

 

例えば私はブックパスの読み放題プランに加入している。そうすると必然的に“読み放題プランの中から”本を選ぶようになる。語句検索をして、今まで知らなかったような本がたくさん出てきて、片っ端から本棚にストックしていくと、たくさんの情報を得られた気分になるが、そもそも最初から「読み放題の中」で情報が制限され、更に検索上位が優勢というフィルタが掛かることになる。(もちろん本当に読みたい本であれば有料で買うことも出来る。しかしこれだけ“定額”や“無料”に慣れてしまうと余程のことが無い限り手出しは難しい)

 

最近流行りの音楽でもそうだ。ドライブにぴったりの曲、集中力が上がる曲----知らなかったアーティストを知れたり、思いがけない名曲に出会えることももちろんある。でも逆に考えれば“誰か”のカテゴライズに付き合わされているだけで、情報を取捨選択するどころか、全体的に受動的で与えられたものに満足するように、世間に飼い慣らされているのではなかろうか。

 

そんな危機感を持っても、私は別に読み放題プランをやめて街の本屋に出向いたり、古本屋を覗いたり、図書館巡りをしたり----に徹することも敢えてしない。本屋にも古本屋にも図書館にもレンタルショップにも行きながら、電子書籍や音楽アプリや動画サイトにもお世話になる。これが本当の【選択肢が増えた】と言えることだからだ。そうして最初は無料で手に入れたものでも、これはいいと思うものはきちんとお金を払って手に入れ直す。作り手には敬意と感謝の意を持って対価を支払う。それが今の便利なシステムの継続につながり、エンドユーザーの正しいあり方だと思う。