*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

完全文系出身の私が、何故いま建築に携わっているのか。


あいつ、建築辞めるってよ。 | 建築嫌い系建築ブロガーによる建築のこと。

"空間デザイナー募集"の触れ込みで今の会社に転職してきた私ですが、今やらされてる事ってデザインじゃなくて設計じゃね?と思い立ち、"設計士に向いてる人"でググって出会ったこのblog…むちゃくちゃ共感しました。厳密に言うと私がやってることは設計じゃなくてプランナーなのですが…。とりあえず思いの丈を綴ってみることにします。

 

そもそもどうして今の仕事に

私は建築がやりたかった訳ではありません。むしろ再就職するまで、衣食住にまったく興味がない人間でした。たまたま施工会社(あとで"ナンチャッテ"施工会社だと分かって辞めるのですが)に事務として再就職することが出来て、たまたまカラーコーディネーターとインテリアコーディネーターの資格を取らせてもらえるというので取得しました。そうしてたまたまインテリアコーディネーターの枠が空いたので、事務とコーディネーターを兼任することになり、たまたまCAD図面を引ける人がいなかったので覚えて使えるようになっただけです。在籍していた3年の出来事でした。

前の会社は社長を始め、建築の素人集団でした。地道に原状回復だけやっていければ良かったのに、元請けの要請でリノベーションも手掛けるようになり、大きな工事をやればやるほど赤字になるような会社でした。だってそんな大きな工事、見積を取れる人間がいないんですよ。押入れ潰してトイレにしましょうとか元請けは簡単に言うけど、そこに給排水を回すことが出来るのか、どうやって勾配を取るのか、そういう知識のある人間がこちら側にいないから、言われるがままユニットトイレの金額だけで見積しちゃう。発注が来てから職人さんに「こんな金額じゃ出来ないよ」って言われても後の祭り。そんなことの繰り返しでした。

それなのに社長は「そこを何とかするのが職人だろう?」と常に上から物を言う人で、私はその態度が許せませんでした。協力会社さんがいなければ塗装も出来ないクロスも貼れない。誰のお陰で内装業者を名乗っていられるんだと思いました。だから自分だけでも職人さんが仕事をしやすいような指示書を書こう、図面を引こうと心がけました。ただ、会社としては事務員扱いなので疎まれましたけどね…仕事が遅いから。

 

内装デザインの仕事は面白い

そうやってコーディネーターとして内装材を選んだり、職人さんとやり取りをするようになって仕事は面白くなってきました。コーディネーターは私一人しかいなかったのでかなり自由にやれましたし、賃貸物件がメインだったので内装デザインは丸投げってことも多くて、毎回自分でテーマを決めてプランニング出来たことも大きかったです。更にプレゼン資料を作るのも楽しかったー。元々、同人誌を作っていたのでPhotoshopIllustratorで資料レイアウトを考えるのも趣味の延長って感じでした。更にこの仕事を天職だと誤認させたのは、デザインに対して一切のこだわりを持てなかったことです。所詮他人が住む部屋、所詮元請けの責任…自分に何のデメリットも無いので、無責任にデザインパターンを量産出来ましたし、それが採用されなくても全く傷付かなかった。それよりもプレゼン資料を作ることそのものに満足出来てしまったのです。

 

インテリアコーディネーターとは

一方で、アラフォーでそんなことをしていても、何のキャリアに繋がらないことも自覚していました。「このカタログのこの価格帯の中からクロスを選んで」なんてことは誰でも出来て仕事ですら無い。IC(インテリアコーディネーター)の肩書があるから多少の箔が付くくらいです。

更に、ICの試験問題を見てもらえばわかりますが、ICの資格取得にセンスは関係ありません。一次試験の内容は基本的な建物の構造から家具の歴史、建築用語や人体モジュールなど幅広く浅いのが特徴です。二次試験は実技ですが、家具の配置が主な目的となっています。勉強内容は興味深かったし、全く実務に役立たないとまでは言いませんが、どちらかというと家具販売員が持つべき資格じゃないかなーとは思いました。その辺りの認知がICに関しては実際あやふやで、資格取得を勧めてきた前会社の社長だってよく分かっていなかった。「うちにはインテリアコーディネーターがいますよ」と言いたいだけ。でもこのネームバリューはかなりの影響力があって、私が名刺を出すだけで喜んでくれるオーナーさんは多かったです。それは嬉しい反面とても申し訳なかった。資格を取得したばかりの私には何の実績もなく、何一つ自信を持って提案していなかったからです。

 

コーディネーター・デザイナー・プランナー

更によく勘違いされるのがインテリアデザイナーやインテリアプランナーの分野です。プランナーがより建築士に近く、デザイナーは設計よりで、コーディネーターは家具レイアウトに近いと大別することが出来ますが、実際は全部ごちゃまぜに認識されていることが多いと思います。私も間取り変更でどこの間仕切りを取るか、3点ユニットからトイレを独立させるのに、どうやったらいいかというデザイナーやプランナーのような仕事もよく手掛けていました。更にCADが使えるのが私だけだったので、手書きの実測図面をCADに書き起こして、そこからプランニングするとかも私の仕事でした。もうこうなってくるとIC関係無くない?!って感じですが…。

もちろん、ここにトイレを持ってきたいけど実際に施工可能かとか、この壁は抜いて問題ないのかなどの知識は一切ありませんから、分からないことは全部職人さんに相談して進めます。職人の皆さんが本当に親切に根気よく教えてくださったのが、心強く有難かったし、そういう職人さんに恵まれたことが一番の幸運でした。だからもっと現場を知りたいと思うようになり、転職を考える訳ですが、もう少しあの厳しく優しい環境で勉強してから飛び出せば良かったと後から後悔する訳です…。

 

私の仕事って何だろう

前会社の社長はtyazukeさんの書くIT老害の典型的人物でした。社長がPCを使えないから、書類の清書やデータの抽出は全部事務員の仕事でしたし、「パソコンでやれば何でもすぐ終わる」と思ってるので、事務員は楽している・どうせ暇だろうと下端に見ていました。それに比べると現会社の社長は、会社設立当初すべて一人でやっていただけあってPC知識も豊富で、何でも出来る人です。が、だからこそ社員を増やす=自分の分身を増やすと思っている節があります。社長が行けない物件の実測に行って平面図を書き起こしておくとか、社長が忙しくて手が回らない物件のゾーニングをしておくとか、そういうことが今の私の仕事です。社長とはそんなに歳が変わらないんですけど、tyazukeさんも書いてますが「俺の背中を見ろ」的な教育方針なのでとにかくやってみての一点張り。ツライ。だって絶対間違う、注意されるって分かってチェック受けなきゃいけないんですよ…。今やらされてるのなんて15階建てのオフィスゾーニングですよ。案の定「これじゃ建築基準法に引っかかるでしょ」って赤が入りましたが…その…建築基準法なんて今まで考えたこともなかったんですけど…いやだから今勉強しろってことですよね、スミマセン…。

私より先に入った若いデザイナーが1ヶ月で辞めた理由がよく分かる。“空間デザイナー”として雇われたはずなのに、やってることと行ったら実測・図面書き・3Dパーツ作成・工事申請…って何にもデザインしてないじゃん!って思いますもん。内装材を選ぶのも社長だし、資料レイアウトのデザインも社長のセンスに合わないと却下されるし…。

でもこうやって書き並べてみると、私は現場を知りたくて飛び出した訳だし、机上の空論じゃなくて現場に沿った空間デザインをするためには自分で図面を引けた方が絶対にいいし、いつか一人でこなさなきゃいけない仕事なら早いうちに経験しておいた方がいいし、やらされていることはまったく無駄じゃないんだなーと思えてきた。アウトプットって大事だ。私の会社は内装系のせいかカレンダー通り休めたりして、tyazukeさんほどまだ建築に絶望してないのですが、tyazukeさんが来年度にはもう建築業界にはいないと書いてあって羨ましく思ったのもまた事実です。向き不向きで言ったら、とても自分が建築に向いているとは思えないので。

 

完全文系出身の私が、何故建築に携わっているのか

私は物語が好きです。小説・漫画・ドラマ・アニメ・舞台・映画…エンタメと呼ばれるものは何でも好きです。引いては人も好きです。人生は物語そのものなので。

だから内装デザインを考える時、私はそこに物語を描きました。どういう人が住んで、どう生活するのか…建築=理系だとばかり思ってましたが、物語という切り口からなら自分も建築に携われる。その気持ちで今もこの業界の端に身を置いています。前前職である司書のほうが、断然自分に向いていると思いますし、人からもそう言われます。戻れるものなら戻りたいですが、生活が掛かっているので残念ながら今この職にしがみつくしかありません。どうせやるなら楽しくやりたいので、いつか自分のフィールドとして楽しめるように、今はこの遅い下積み時代を乗り越えたいと思っています。

もうね、最終的に建築やるんだったら大学も建築系に進めば良かったよ!って思います。経験値は買えないし、先に始めた人には敵わないので、早くから夢を持って取り組めてる人はそれだけで勝ち組だなって思います。

 

さて明日もよく分かんないけど現場に直行するよ!

 

何かに左右されるということ。

パート勤め時代に、元CAでとても美人な先輩がいた。もちろんご主人は現役パイロット。もう大学生になる息子さんがいるというのに、crocsCONVERSEが主流の職場で、7センチのピンヒールを履きこなしているような人だった。

そんな先輩の悩みは、目下ご主人にあった。野球シーズンになると、好きなチームの勝敗で家の中の空気が一変するというのだ。

 

「例えば途中まで勝ってたのに、逆転負けしたとするでしょ。そうすると夜のニュースのスポーツコーナー観てイライラ。翌朝のニュースでもイライラ。もう私も息子もそのイライラが収まるまでとにかく静かにしてるの」

 

それがシーズン中、春〜秋まで続くというのだから呆れてしまった。いくら高給取りでもそんな旦那は願い下げだと思った。だって先輩も息子さんも何一つ悪くないのである。もっと言えば、旦那さん自身の失敗や不都合でもなく、自分たちではどうしようもない第三者の勝敗に、どうしてこちらが右往左往させられなければならないのか。これはスポーツ全般のファンの人に言えることだと思うけれど、百歩譲ってファンの貴方が落ち込んだり苛立つのは勝手だけど、それを周囲にまで拡散するのはどうかと思う。

 

同様の理由で煙草を吸っている人も苦手だ。別に吸ってるけど吸わなくても平気な人は良いが、吸わないとイライラする、もしくはイライラすると煙草を吸わずには居られないという人にうんざりする。そしてそのイライラを包み隠さず周囲に拡散出来る人に、羨ましさを通り越して疑問を抱かざるを得ない。

 

私はよく“いつも穏やか”で“怒ってるところが想像出来ない”と言われる。とは言え、別に聖人君子を気取っているつもりはない。何かの所為で【自分】がマイナスの方向に乱されるのが【嫌】なだけだ。苛立ったりイライラさせられたりするのが嫌なので、その原因を最初から手放している。言い換えれば大概は【無関心】、どうでも良い。期待しないし、信じてもいない。心底冷たくて人を見下している私の状態が、他人へ“穏やかな人”という印象を与えていることになる。

 

だからどうしてわざわざ“自分自身ではどうにもならない所に感情の拠り所を置く”ことが出来るのか分からない。それが楽しかったりモチベーションが上がる正の感情の拠り所なら分かる。いや、恐らくスポーツチームのファンの人だって、チームが勝った時の確固たる正の感情を得るために応援しているのだろう。だからと言って永遠に勝ち続けることは無いと分かっていながら、その正負の衝動をチームと共に分かち合うこと自体に価値を見出していると考えると、その点は賭け事にハマる心理に近いとも言える。だとすると、金銭的な実害は低いとは言え、家族や周囲に迷惑を掛ける(不満や怒りをぶちまける)ことは、もっと問題視されても良い気がする。少なくとも公共マナーとして認識されるべきなんじゃないだろうか。

 

私は本当に感情の起伏を当て付けのように周囲にバラまく人が大嫌いだ。「俺は今機嫌が悪いから話掛けるな」オーラをプンプンさせていたりすると、「つーか、お前の都合なんか知らんがな!」と怒鳴りたくなる。残念ながら、前の会社も今の会社もそんな人ばっかりで、連日かなりうんざりさせられているのだが、空気を読んだりご機嫌を伺うのは面倒だし嫌なので、基本無視することにしている。話しかけるなって言われても、仕事だから言わないといけないことは言わないといけないしね!でも、機嫌によって対応が変わる(同じことを言ってもOKだったりNGだったり)のは仕事として上司としてどうよって思う。もう良い大人なんだから、周りに迷惑掛けない程度には自分くらいコントロールしてくれ!

じゃあどんな会社が理想的なんだってばよ。

前回の記事で“自分に合った会社なんて存在しない”と書いたけれど、自分で書いておいて何だか腹が立ってきた。そりゃ「何もしなくても毎月1億円振り込まれる会社」とか「イケメンに囲まれてちやほやされる会社」とかだったらそう簡単に存在しないだろう。(有り得ないとまでは言わない。)しかしながら【仕事を覚えて、社会の役に立って、対価として給料をもらいたい】という、ごく普通の勤労を願う者が理想とする会社ぐらいごまんとあったっていい。否、あるべきだ。

 

そんな訳で、転職したばかりの私が抱えている不満をぶちまけながら、理想的な会社について考えてみたい。

 

先輩が教えてくれるなんて嘘だッッ!

実質、正社員としての職場は現在で3件目です。なので2回の転職を経ての結果論ですが、未経験でも先輩がついて教えますので大丈夫ですと書かれていて大丈夫だったことは何一つありません。そもそも“教える”という行為は特殊技能です。PCスキルや文章作成スキル同様に、教えられる私たちのレベルもバラバラなら、教える先輩のレベルもバラバラです。そして大概の人は教える時に自分が教えられたとおりに教えようとし、そこに何の疑問も持ちません。本来であれば、教える側の人間こそ“教え方”を学ぶべきはずなのに、です。(教えられる側のマナーにも然るべきものがあるのは承知してますが、今回そこは問題視しないことにします。)

実際、前会社の先輩も現会社の先輩も教えるのがクッソ下手です。現会社に限って言えば、ある意味先輩は“天才肌”タイプとでも言うのでしょうか。入社日に触ったことのないソフトの使い方について教わった時はこんな説明からスタートしました。

 

「これとこれを押しながら矢印キーでコピー。これとこれだと移動。吸着モードにしておけば勝手に点を拾うから、こうこうで壁が出来て、これは内寸だから壁の厚み分50移動して…」

 

この教え方で抜けている点は多々あります。例えば

  1. 何の為にこのソフトを覚えなければならないのか。
  2. このソフトを使って完成するものは何か。
  3. ツールバーやアイコン、レイヤの使い分けについて。
  4. このソフトでデータを作成する際の社内ルール。
  5. データを作成する上で重要なこと。

などです。

確かに私は新卒の新入社員ではありません。中途採用だし、アラフォーだし、業界経験もある。だけど初めて使うソフトなんです。入社初日で会社の勝手も分からないまま、いきなり最低限のショートカットキーとボタンの使い方だけバーッと説明されて「じゃあこれを清書して」と下書きの図面を渡されて、先輩はそのまま自分の仕事へ。四苦八苦しながら(もちろん質問を挟みながら)終日掛けて半分まで作業を進めた旨を報告すると「今日中に終わると思ってたんですけど。前の子はとにかく手だけは早かったんで」と言われる始末。こんな風に書くと「いじわるな先輩」と思われるかもしれませんが、別に先輩は悪い人ではないですし、私を嫌ってる訳でもありません。その証拠に他愛のない話はいくらでもしてくれます。ただ教え方がクッソ下手なだけです。恨むならこういう教え方で良しとしている社長でしょうか。マネジメントが注視されてから相当な年月が経っているにも関わらず、その“手だけは早い”前任者が1ヶ月で退職したことを、どれだけ重く受け止めているのでしょうか。

百歩譲って、社長も先輩も忙しくてそこまで丁寧に教えている時間がないとしましょう。だったら「時間が作れないから、まずはこのマニュアルに沿って使い方を覚えて」とマニュアルを投げて寄越せば良かったのです。実際、後日このソフトのユーザーズマニュアルがあることを知らされました。おそらく先輩的には「マニュアルはあるけど、どうせ必要な機能は一部だし、必要な所だけ覚えてもらえばいい」という考え方なのでしょう。しかしながら、線の引き方だけ教わっていきなり実践のデータを作らされて、後から「何でこのレイヤを使わなかったの?この線が曲がってるの気付かなかったの?」と言われても訳がわかりません。何でと言われても「教わってないから」なんですが、先輩側としては「分からなければ聞くでしょ、普通」と言いたい訳です。でもこっちは何が分からないかも分からないんだっつーの。だから本来一番最初に大切なのは“ヒアリング”だったんですよね。私が何をどこまで知ってて、何を分かってないか。特に中途採用の場合そこが凸凹なので、教える側はそこを均すのが最初の仕事だと言えるでしょう。今回の場合も一応先輩は「前の会社では何ていうソフト使ってたんですか?」と聞いてくれました。×××ですと答えると「そのソフトを知らないので、違いは分からないんですけど…」一蹴された上、すぐショートカットキーの説明に入られてしまいました。

 

どうでもいいと言いながらどうでもよくない。

あと先輩のいけないところは“要らない言葉が多すぎる”ことです。例えば、一つ説明を終えた後で「まあ、どっちでもいいんですけどね」「私はA型だから気になるんでこうしてますけど」「後でまたその時に説明しますけど」などなど。こっちとしてはその一言で教わったことがあやふやになって“先輩のルール”なのか“社内ルール”なのか分からなくなってしまいます。挙句「何でこっちのレイヤに(以下略」と言われる。そりゃ貴方がどっちでもいいって言ったからですよ。頼むから先輩のやり方をしっかり叩き込んで欲しい。やり方を自分の物にしてからアレンジなんていくらでもするからさぁ。結局のところ先輩も自分のやり方に自信がないんですよね。傍から見たらもっと良い方法があるんじゃないかとか。でもそれは先輩の問題で、新人の私には関係ない話です。むしろ他を考える余裕なんて無いんですから、先輩のコピーを作るイメージで教えてくれればいいんです。又は、どっちでもいいって言ったからにはそれに対して文句は言わないとか。「前に教えたと思うんですけど」も言われると本当にムカつくから言わないで欲しいなぁ。2回も3回も聞いてる訳じゃないんだよ?先輩は1回で全部覚えてきたんでしょうけど、メモを取る時間も十分に与えてくれない中で「前にも言いましたよ」って、あんたどれだけ頭良いんだよ…頭良いのは分かったから、皆が皆あなたみたいじゃないんだってこと、そろそろ気付こうぜ…。

 

空気を読むことは仕事じゃありません。

社長と先輩に同行して、取引先の打ち合わせに参加した時のこと。社長に「名刺持ったよね?」と確認されたのに、いざ顔合わせの際に紹介してもらえず、ずっと挨拶の機会を伺う羽目になりました。何とか合間を縫って名刺交換してもらったらマナー違反でした(テヘペロ)。だけどさぁ、打ち合わせ現場への移動中も全然打ち合わせの意図とか、参加者の力関係とか、うちの会社のスタンスとか、私の役割とか、何の説明も与えられないままですよ?言われてたのは「今回の案件は本城さんに担当してもらうかな(笑)」ってだけ。担当と言われた割に紹介はされないし、自分から行けってことかしらと行ってみれば怒られるし、担当って冗談だったのかなと思ってみればいきなりデータの作成一人で任せられてダメ出しされるし…モチベーションだだ下がりです。「だーかーら、分かんなかったら聞けよ」というのがこの会社のスタンスなのかもしれませんが、社長と先輩が普通におしゃべりしてる中、いきなり仕事の質問なんて出来ます?それに聞くって勇気が要ることなんです。特に今の会社は質問の内容によっては「そんなこと聞いてどうするの」って顔されますしね。こっちは情報の必要・不必要が分からないんだから、必要な情報は事前に与える義務があると思うんですよね…。

 

そろそろ話をまとめると。

本題は【理想の会社とは?】でした。学生の就職率がほぼ100%と言われて久しいです。どの業界も人手不足が深刻です。「辞めさせても、代わりはいくらでもいる」という時代はとっくに終わっているのです。だからやっぱり【人を育てられる会社】が理想的なのではないかと思います。働けば働くほど分かりますが、結局何でも“ヒト”次第です。お金を出すのは人ですが、お金を動かすのは人の心なんですよね。“心を込めて”とは良く言ったもので、心を込めた仕事にはしっかり対価がついて回ります。そういう“仕事に心を込められるヒト”を育てる会社、“心を込めた仕事に専念できる”会社が求められているし、残っていくのではないかなぁと思うのです。そういう会社を目指そうとすると必然的にチームワークとか情報共有とか考えざるを得ないと思うんですけどね…というか、会社力!とか組織力!なんて本がいくらでも出回っているのに、どうしてそういう所に目が向けられないのかなぁ。どうしてそういう理想の会社が増えていかないのかぁ…。

 

最後になりましたが。

「教える側の文句ばっかり言ってるけど、結局あんたが仕事が出来ないだけでしょ」と思われるのは百も承知です。仕事に対する勘は鈍いし、ビクビクしてなかなか質問出来ないし、やっと質問したと思ったらトンチンカンな内容だし…本当仕事が出来ない典型だなって思います。でも、時間は掛かるけど仕事はちゃんと覚えたいと思うし、一人で一通りのことが出来るようになるまで頑張るつもりです。残念ながら、これからの時代、シルバー人材などで私みたいに“やる気はあるけど仕事が出来ない年上の後輩”がたくさん流入してくると思うんですよね。人手が足りない訳ですから、そういう人を確保して育てて行かないとならないんです。「何度言ったら分かるんですか」「もういいです、私がやりますから」と言われて気持ち良く働ける人なんていますか?言われる方が悪いというなら、それはいじめられる方が悪いというのと同じ理屈です。そもそもいじめようとする人間が現れなければいじめられることはないのです。つまり教える側が言葉を変えるだけで、職場の雰囲気は劇的に改善しますし、相手のモチベーションも上がります。仕事も早く覚えてもらえて、自分の業務が軽くなったり、広げることが出来るかもしれません。悪循環なんて誰も求めていないわけですから、皆で理想を目指せば叶うものだと私は信じています。いつか自分が理想とする【チームワークで仕事が出来る会社】にして行けたらと思っています。

転職に失敗したかもしれない話。

7月末に前の会社を退職して、8月1日から今の会社に入社した。入社して約10日…ここでちょっとこれまでの経験をまとめておきたい。

 

転職サイトを利用していた。

3月末に前会社で社長に業務改善案を叩き付けて、何の返事も得られないことに見切りを付けて、転職サイトに再登録したのが4月中旬頃の話。今年の1月には並行して転職エージェントにも登録していたが、これまでの職種に囚われず、興味の赴くまま色々な職種を見てみたくて、まずは転職サイトのみ登録し、ダメ元で一般事務から製品デザイナーまで幅広く応募してみた。一番やってみたかったのは本の装丁の仕事。しかしながらやはりアラフォーで未経験職は軒並みWEB履歴書の書類選考で落選。6月に入ってもこれが続くようであれば、エージェントに登録するかと考えていた5月中旬に、現職である内装デザイン枠で、2社から選考通過のお知らせが。エージェントに登録するのはその2社がどちらでも駄目だったら、ということにした。

 

面接を受けた2社の比較。

最初に面接を受けたのはA社だった。A社は初めから二次まで面接があることがわかっていて、かなり大きくてしっかりした印象のある会社。一次面接時も担当者の方が名刺を下さったり、面談シートのようなものに沿って質問されるなど、システム化されている印象を受けた。かなりの好感触だったので、一次は通るだろうなと思っていたけど、通勤時間がかなり長いのと、月々のノルマがあるのにちょっと悩んだ。でも基本的に私は運を天に任せるタイプなので、一番最初に内定を出してくれた会社に転職しようと覚悟はしていた。

A社の一次面接から二次面接までの間に受けたのが、今勤めているB社である。B社はとにかく条件が良かった。通勤時間は短いし、建築系にしては珍しくカレンダー通り休みだし、給与も上がる。その代わり社長を含め5人以下という少人数で、テナントの内装という、これまで住宅をやってきた自分にとってはちょっと畑違いの業種に不安もあった。それならば逆に面接で合う合わないを判断してもらえるだろうなと思ってB社の面接に臨んだ訳だけど…。

 

面接から得た教訓。

結論から言うと、面接時に受けた違和感や不安は、入社して解決するどころか、ますます問題になったということ。そもそもB社はいきなりの社長面接ではあったのだけれど、とにかく何にも聞かれないという、今まで受けたことのない面接だった。社長の起業の理由からこれからの展望まで、30分ひたすら社長の話を聞き、相槌を打つだけ。それもまあ少人数の会社ならではの人柄を見られているんだろうなと思っては見た。けれどもなーんかこの人履歴書ちゃんと読んでないんじゃない?と思うところもあった。というのも、履歴書をちゃんと読めば私がプランナーの資格を得たのはここ一年くらいだと分かるのに、やたら「経験があるから大丈夫だと思いますよ」と締め括るのである。私も私でもっとはっきり「いえ、経験が浅いのでしっかり教えて頂ける会社に転職したくて求職活動している」と伝えるべきだったのだ。結局その時感じたズレは、入社後もそのまま引き摺っている。向こうは向こうで「思ったよりこいつ遣えないな」と思ってるし、私は私で「いきなり仕事丸投げで全然教えてもらえない…」と感じている。中途採用では面接官に採用してもらうのではなく、自分に何が足りなくて、どう成長したいのかをアピールする必要があったんだなぁ…と。向こうも思い込みで採用したんだから責任はあると思うし、とにかく入社してしまったので今の会社で必要なことは全て一人で出来るようになろうとは思ってます。その前にクビにされなければね。

 

結論として。

社長の感情の起伏が激しく、社員をHD扱い(自分で記憶せず、分からないことは全部社員に聞く)し、先輩は感覚で仕事覚えてきた人だから教えるのが下手だし、とにかく仕事は振られるしで面倒くさいことこの上ない転職になりました。が、一通り出来るようになれば裁量が大きいので時間は自由になるし、日帰り出張も多くて移動時間はフリーになるしで、それまでは大変だけど何とかやっていくつもり。自分の理想通りの会社・上司なんて何処に行ってもいないということが良くわかりました。例えA社に行っていたとしても同じことを感じていたと思う。多少は先輩が多いのでもう少しちゃんと基本を教えてもらえてたかもしれないけど、結局現場行って採寸してそれを図面に起こしてレイアウトするのが自分の仕事なので、自分が自分である限りこの焦燥感と不安感は拭えないんじゃないかと思う。自分なりの仕事のコツを掴めるよう頑張るぞーい。

2017年7月末日で退職した話。

丸3年勤めた会社を辞めた。

 

ボーナスは貰えませんでした。支給日には在籍していたんですけどねぇ。所詮そんな会社でした。特に何も言わず、しれっと月給の明細だけ渡されて。この半年だけでも数百万~数千万の契約を成約させてきた実績があるので、出る所に出れば多少は回収出来ると分かってますが、手切れ金だと思って泣き寝入りします。ええ、立派な泣き寝入りですとも。

 

労働契約書も就業規則も無い会社だったので(それでも30年続いているそうですが)訴えられれば明文化されていないことを良いように盾に使うつもりなのでしょう。もしくは私が節税対策の子会社に出向していたから、親会社の売上には貢献していないとでも言い張るつもりなのでしょうか。こうして書いていても馬鹿らしい会社です。

 

そんな馬鹿会社でも、去年の暮れには、私は真剣に業務改善に取り組んでいました。誰に言われたでもありません。とにかく自分が楽して稼ぎたかったし、みんなが楽になる方法があるのに、それを実践しないのは社長が無知だからだと考えたからです。

 

私はとても分かりやすく、パワポ方式で社長に提案しました。"大卒の就職率が100%の時代です。企業が人を選ぶのではなく、人が企業を選ぶ時代になって久しいです。今ある財を活かすことに目を向けませんか"と。最後に【この提案に目を通したら必ず私に連絡下さい】と、ちょっとしたケンカを売ることも忘れませんでした。

 

実は、私はこの提案をメールして一週間以内にリアクションが無ければ、この会社を見限ろうと心に決めていました。

 

提案を出して1ヶ月後に私の耳に入ってきたのは「社長から"本城さん、辞めたいのかな?"って訊かれたけど、何かあったの?」という同僚からの質問でした。真剣に業務改善を提案する社員=辞めたい人という、頭の悪すぎる発想に、我が社長ながら呆れ果てました。

 

そうして転職をするに至ったのです。

 

ケンカを売って、啖呵を切って辞める方法も考えましたが、最初に考えた穏便な方法で辞めることが出来たのでそれもやらず終いです。社内外に退職を伝えて、すべからく「おめでとう」と言われたのが良い思い出です。

 

まだあの会社に残っていて、連日理不尽にさらされている皆さんが、一日も早く解放されることを願うばかりです。

夏。それはアンニュイ。

小学校5年だか6年の夏に、一度だけ“7月中に宿題を全部終わらせる”という目標を立てて、完遂したことがある。今となってはそれが自分の思い込みに依るものなのか、実際の出来事なのか定かではないが、私の中では【目標を立てる→目標を達成する】ことが出来るという自信の一端を担っている。他人から与えられた目標ではなく、自分でやりたいことに向かって計画を立て、実践して、やりたいことを実現する力が自分にあるという自負―これを10代で得られたことは私の人生の中でかなり有意義なことだ。

 

還暦を過ぎた母が、最近自分の子育てを振り返っているらしく、「私の料理だと何が一番美味しいと思ってた?」とか「一番最初に住んでた家のことで覚えてるのはどんなこと?」とか、昔のことをよく聞かれるようになった。一度「私にこうして欲しかったとか思ったことある?」と聞かれて、当たり障りのない笑い話でごまかしたことがある。私は母似で、そんな母が苦手だった。母は私にとっていつでも反面教師だったのだ。結局どうあがいても血は争えず、私は母にそっくりなんだけど、それでも2つだけ守っていることがある。

 

1つは年齢を偽らないこと。年齢を聞かれて「いくつに見えます?」と絶対に聞き返さないこと。母はずーっと年齢を気にしている。例えば、ハガキで応募するような時、決まって実年齢より若く書いたり、私の名前と年齢で応募したりする。そんなこと無意味だと思うのだけれど、母にとっては重要らしく、私は幼い頃しばらく母の年齢を知らされていなかった。「お母さんはいくつ?って聞かれたら『はたちです』って言うのよ」と教えられて、その通りにしていたから、相手の大人たちはいつも笑っていた。「ゆかちゃんのお母さんは永遠のはたちなのね」と。

私はいつまでも年齢を気にする母親が理解できなかったので、年齢を気にしないように、年齢を恥じないようにしている。その所為か他人の年齢も気にすることが無いので、人の年齢を当てられた試しがない。だからすぐに「いくつに見えます?」「あの人、いくつだと思います?」と言ってくる人間は嫌いだ。実年齢がいくつであろうと関係ない。私にとってその人がどんな人か(気が合うのか・敵なのか・有益なのか)だけ意味がある。年上だろうと取り繕って敬うことはないし、年下だろうと私より先に入社していれば先輩として扱う。歳を聞かれたらすぐに答える。そもそも実年齢を聞いたあとのリアクションって困ったことしかないのに、みんなどうしてわざわざ聞くんだろうと思う。

 

2つめは「本当は○○したかった」ということを言わない・やらない。母は冗談が好きな人なので、半分は冗談だと思うのだけれど、よく「本当はお金持ちと結婚してベルを鳴らせば夕食が出てくるような生活をするつもりだった」とか「本当は大好きな推理小説を自分で書いてみたくて、ネタはいくつかあるの」とか言うのである。聞かされた方としては、幼心に「私が生まれた所為で母の夢を妨げてしまったんだな」と思ったものである。そんなことをあとから言うくらいなら、今からでもやればいいのにとも思った。だから私はやりたいことしかやっていない。漫画を描きたいと思ったから書いたし、投稿もした。一方で勉強も出来てスポーツも出来るオタクを目指して、成績は常に学年で5位以内をキープしつつ、運動部の部長もやりながら、同人誌を作ってイベントに出た。HPを作ってみたくてHTMLとCSSを勉強して作ったし、好きなラジオ番組のコーナーに出たくて応募して出演を果たしたこともある。最初の話に戻るけど、目標を立てて実践してそれを積み上げてきて、運の良いことにそれらは全て無駄ではなかった。そう振り返ることが出来る。そう思えるような半生に出来たことは、母に感謝しなければならない。

 

夏は家族についてよく考える。毎年両親の実家で半月あまりを過ごすのが恒例で、親戚同士で旅行に行くことも常だった。夏空を見上げるたび、渋滞の車窓から見続けた入道雲を思い出し、見知らぬ土地で出会った同級生と漕ぎ続けたブランコを思い出す。

 

やはり夏は苦手だ。

そこに他人が在るとき、私は傷付く。

転職することにした。

社長がいきなりキャバ嬢同伴で職場に現れ、皆騒然となる中、社長が「これ、うちのバカ娘」と隣のキャバ嬢を紹介し始め、社内に悪寒にも似た戦慄が走ったことは言うまでもない。その場にいる全員が「いやぁ、本当に見るからに馬鹿そうなバカ娘ですね」と言いたいのをぐっとこらえる中、口火を切ったのはお局軍団の「かわいい〜」というお世辞という名の悲鳴だった。これから会社の幹部として迎えるべく、取引先にその短パン・生足・グラディエーターサンダルのキャバ娘を紹介して回るんだとさ。アホらし。付き合ってられるか。と思ったのは今に始まったことではないけれど、「一緒に働きましょう!」と言ってくれた会社があったので退職することにした。

 

そんなわけで今、絶賛有給消化中である。本来であれば、退職日から逆算して最終出社日を決めるのだが、忙しい時と人が少ない日には居て欲しいと言われ、飛び飛びに休みを取って、たびたび出社をして、ダラダラと退職するような形になってしまった。

 

たまに出社してみて思うのは、外に出るとどうしても嫌な思いをするという切ない現実であった。逆に言えば、外にさえ出なければ、他者とさえ関わらなければ、自分が傷付くということはそうそう無い。一人で過ごす家という場所は、何と心地よくて、何と素晴らしいのだろう。今はネットがあるからエンタメにも事欠かないというのがまたすごくて、誰とも顔を合わせなくてもビデオを借りられるし、本だって読めるし、ゲームだって買えるのだ。こんなの引きこもらない方が損である。

 

しかしながら、その素敵な家も、素晴らしいネット環境にも金が要る。その金の為に働かなくてはならないわけだけど、労働というのは他者との関わりの最たるものであって、傷付いて、まさにその身を削って得る対価であったりする。嗚呼。そんなのおかしい。傷付きたくなくて引きこもる為に、裸同然で外に飛び出してゆかなければならないだなんて。酷い。こんな酷い矛盾ってあるか。などと曰う40歳。外に出なければ傷付かずに済むと分かっているのに、こうしてせっかくの休日もネットという海を利用して外に漕ぎ出してしまうのだから世話が無い。何故なら、他者と関わらなければ傷付くこともないけど認められることもないのだ。

 

その一縷の望みに賭けて、私は外への一歩を踏み出す。そしてまたボロボロに傷付いてこの繭のような家で猫とくるまって眠り、家を守るために戦い、外へ出る。私も他者を傷付ける。私も他者を認める。その理をどこかで引き受けているはずだから。