*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

転職に失敗したかもしれない話。

7月末に前の会社を退職して、8月1日から今の会社に入社した。入社して約10日…ここでちょっとこれまでの経験をまとめておきたい。

 

転職サイトを利用していた。

3月末に前会社で社長に業務改善案を叩き付けて、何の返事も得られないことに見切りを付けて、転職サイトに再登録したのが4月中旬頃の話。今年の1月には並行して転職エージェントにも登録していたが、これまでの職種に囚われず、興味の赴くまま色々な職種を見てみたくて、まずは転職サイトのみ登録し、ダメ元で一般事務から製品デザイナーまで幅広く応募してみた。一番やってみたかったのは本の装丁の仕事。しかしながらやはりアラフォーで未経験職は軒並みWEB履歴書の書類選考で落選。6月に入ってもこれが続くようであれば、エージェントに登録するかと考えていた5月中旬に、現職である内装デザイン枠で、2社から選考通過のお知らせが。エージェントに登録するのはその2社がどちらでも駄目だったら、ということにした。

 

面接を受けた2社の比較。

最初に面接を受けたのはA社だった。A社は初めから二次まで面接があることがわかっていて、かなり大きくてしっかりした印象のある会社。一次面接時も担当者の方が名刺を下さったり、面談シートのようなものに沿って質問されるなど、システム化されている印象を受けた。かなりの好感触だったので、一次は通るだろうなと思っていたけど、通勤時間がかなり長いのと、月々のノルマがあるのにちょっと悩んだ。でも基本的に私は運を天に任せるタイプなので、一番最初に内定を出してくれた会社に転職しようと覚悟はしていた。

A社の一次面接から二次面接までの間に受けたのが、今勤めているB社である。B社はとにかく条件が良かった。通勤時間は短いし、建築系にしては珍しくカレンダー通り休みだし、給与も上がる。その代わり社長を含め5人以下という少人数で、テナントの内装という、これまで住宅をやってきた自分にとってはちょっと畑違いの業種に不安もあった。それならば逆に面接で合う合わないを判断してもらえるだろうなと思ってB社の面接に臨んだ訳だけど…。

 

面接から得た教訓。

結論から言うと、面接時に受けた違和感や不安は、入社して解決するどころか、ますます問題になったということ。そもそもB社はいきなりの社長面接ではあったのだけれど、とにかく何にも聞かれないという、今まで受けたことのない面接だった。社長の起業の理由からこれからの展望まで、30分ひたすら社長の話を聞き、相槌を打つだけ。それもまあ少人数の会社ならではの人柄を見られているんだろうなと思っては見た。けれどもなーんかこの人履歴書ちゃんと読んでないんじゃない?と思うところもあった。というのも、履歴書をちゃんと読めば私がプランナーの資格を得たのはここ一年くらいだと分かるのに、やたら「経験があるから大丈夫だと思いますよ」と締め括るのである。私も私でもっとはっきり「いえ、経験が浅いのでしっかり教えて頂ける会社に転職したくて求職活動している」と伝えるべきだったのだ。結局その時感じたズレは、入社後もそのまま引き摺っている。向こうは向こうで「思ったよりこいつ遣えないな」と思ってるし、私は私で「いきなり仕事丸投げで全然教えてもらえない…」と感じている。中途採用では面接官に採用してもらうのではなく、自分に何が足りなくて、どう成長したいのかをアピールする必要があったんだなぁ…と。向こうも思い込みで採用したんだから責任はあると思うし、とにかく入社してしまったので今の会社で必要なことは全て一人で出来るようになろうとは思ってます。その前にクビにされなければね。

 

結論として。

社長の感情の起伏が激しく、社員をHD扱い(自分で記憶せず、分からないことは全部社員に聞く)し、先輩は感覚で仕事覚えてきた人だから教えるのが下手だし、とにかく仕事は振られるしで面倒くさいことこの上ない転職になりました。が、一通り出来るようになれば裁量が大きいので時間は自由になるし、日帰り出張も多くて移動時間はフリーになるしで、それまでは大変だけど何とかやっていくつもり。自分の理想通りの会社・上司なんて何処に行ってもいないということが良くわかりました。例えA社に行っていたとしても同じことを感じていたと思う。多少は先輩が多いのでもう少しちゃんと基本を教えてもらえてたかもしれないけど、結局現場行って採寸してそれを図面に起こしてレイアウトするのが自分の仕事なので、自分が自分である限りこの焦燥感と不安感は拭えないんじゃないかと思う。自分なりの仕事のコツを掴めるよう頑張るぞーい。

2017年7月末日で退職した話。

丸3年勤めた会社を辞めた。

 

ボーナスは貰えませんでした。支給日には在籍していたんですけどねぇ。所詮そんな会社でした。特に何も言わず、しれっと月給の明細だけ渡されて。この半年だけでも数百万~数千万の契約を成約させてきた実績があるので、出る所に出れば多少は回収出来ると分かってますが、手切れ金だと思って泣き寝入りします。ええ、立派な泣き寝入りですとも。

 

労働契約書も就業規則も無い会社だったので(それでも30年続いているそうですが)訴えられれば明文化されていないことを良いように盾に使うつもりなのでしょう。もしくは私が節税対策の子会社に出向していたから、親会社の売上には貢献していないとでも言い張るつもりなのでしょうか。こうして書いていても馬鹿らしい会社です。

 

そんな馬鹿会社でも、去年の暮れには、私は真剣に業務改善に取り組んでいました。誰に言われたでもありません。とにかく自分が楽して稼ぎたかったし、みんなが楽になる方法があるのに、それを実践しないのは社長が無知だからだと考えたからです。

 

私はとても分かりやすく、パワポ方式で社長に提案しました。"大卒の就職率が100%の時代です。企業が人を選ぶのではなく、人が企業を選ぶ時代になって久しいです。今ある財を活かすことに目を向けませんか"と。最後に【この提案に目を通したら必ず私に連絡下さい】と、ちょっとしたケンカを売ることも忘れませんでした。

 

実は、私はこの提案をメールして一週間以内にリアクションが無ければ、この会社を見限ろうと心に決めていました。

 

提案を出して1ヶ月後に私の耳に入ってきたのは「社長から"本城さん、辞めたいのかな?"って訊かれたけど、何かあったの?」という同僚からの質問でした。真剣に業務改善を提案する社員=辞めたい人という、頭の悪すぎる発想に、我が社長ながら呆れ果てました。

 

そうして転職をするに至ったのです。

 

ケンカを売って、啖呵を切って辞める方法も考えましたが、最初に考えた穏便な方法で辞めることが出来たのでそれもやらず終いです。社内外に退職を伝えて、すべからく「おめでとう」と言われたのが良い思い出です。

 

まだあの会社に残っていて、連日理不尽にさらされている皆さんが、一日も早く解放されることを願うばかりです。

夏。それはアンニュイ。

小学校5年だか6年の夏に、一度だけ“7月中に宿題を全部終わらせる”という目標を立てて、完遂したことがある。今となってはそれが自分の思い込みに依るものなのか、実際の出来事なのか定かではないが、私の中では【目標を立てる→目標を達成する】ことが出来るという自信の一端を担っている。他人から与えられた目標ではなく、自分でやりたいことに向かって計画を立て、実践して、やりたいことを実現する力が自分にあるという自負―これを10代で得られたことは私の人生の中でかなり有意義なことだ。

 

還暦を過ぎた母が、最近自分の子育てを振り返っているらしく、「私の料理だと何が一番美味しいと思ってた?」とか「一番最初に住んでた家のことで覚えてるのはどんなこと?」とか、昔のことをよく聞かれるようになった。一度「私にこうして欲しかったとか思ったことある?」と聞かれて、当たり障りのない笑い話でごまかしたことがある。私は母似で、そんな母が苦手だった。母は私にとっていつでも反面教師だったのだ。結局どうあがいても血は争えず、私は母にそっくりなんだけど、それでも2つだけ守っていることがある。

 

1つは年齢を偽らないこと。年齢を聞かれて「いくつに見えます?」と絶対に聞き返さないこと。母はずーっと年齢を気にしている。例えば、ハガキで応募するような時、決まって実年齢より若く書いたり、私の名前と年齢で応募したりする。そんなこと無意味だと思うのだけれど、母にとっては重要らしく、私は幼い頃しばらく母の年齢を知らされていなかった。「お母さんはいくつ?って聞かれたら『はたちです』って言うのよ」と教えられて、その通りにしていたから、相手の大人たちはいつも笑っていた。「ゆかちゃんのお母さんは永遠のはたちなのね」と。

私はいつまでも年齢を気にする母親が理解できなかったので、年齢を気にしないように、年齢を恥じないようにしている。その所為か他人の年齢も気にすることが無いので、人の年齢を当てられた試しがない。だからすぐに「いくつに見えます?」「あの人、いくつだと思います?」と言ってくる人間は嫌いだ。実年齢がいくつであろうと関係ない。私にとってその人がどんな人か(気が合うのか・敵なのか・有益なのか)だけ意味がある。年上だろうと取り繕って敬うことはないし、年下だろうと私より先に入社していれば先輩として扱う。歳を聞かれたらすぐに答える。そもそも実年齢を聞いたあとのリアクションって困ったことしかないのに、みんなどうしてわざわざ聞くんだろうと思う。

 

2つめは「本当は○○したかった」ということを言わない・やらない。母は冗談が好きな人なので、半分は冗談だと思うのだけれど、よく「本当はお金持ちと結婚してベルを鳴らせば夕食が出てくるような生活をするつもりだった」とか「本当は大好きな推理小説を自分で書いてみたくて、ネタはいくつかあるの」とか言うのである。聞かされた方としては、幼心に「私が生まれた所為で母の夢を妨げてしまったんだな」と思ったものである。そんなことをあとから言うくらいなら、今からでもやればいいのにとも思った。だから私はやりたいことしかやっていない。漫画を描きたいと思ったから書いたし、投稿もした。一方で勉強も出来てスポーツも出来るオタクを目指して、成績は常に学年で5位以内をキープしつつ、運動部の部長もやりながら、同人誌を作ってイベントに出た。HPを作ってみたくてHTMLとCSSを勉強して作ったし、好きなラジオ番組のコーナーに出たくて応募して出演を果たしたこともある。最初の話に戻るけど、目標を立てて実践してそれを積み上げてきて、運の良いことにそれらは全て無駄ではなかった。そう振り返ることが出来る。そう思えるような半生に出来たことは、母に感謝しなければならない。

 

夏は家族についてよく考える。毎年両親の実家で半月あまりを過ごすのが恒例で、親戚同士で旅行に行くことも常だった。夏空を見上げるたび、渋滞の車窓から見続けた入道雲を思い出し、見知らぬ土地で出会った同級生と漕ぎ続けたブランコを思い出す。

 

やはり夏は苦手だ。

そこに他人が在るとき、私は傷付く。

転職することにした。

社長がいきなりキャバ嬢同伴で職場に現れ、皆騒然となる中、社長が「これ、うちのバカ娘」と隣のキャバ嬢を紹介し始め、社内に悪寒にも似た戦慄が走ったことは言うまでもない。その場にいる全員が「いやぁ、本当に見るからに馬鹿そうなバカ娘ですね」と言いたいのをぐっとこらえる中、口火を切ったのはお局軍団の「かわいい〜」というお世辞という名の悲鳴だった。これから会社の幹部として迎えるべく、取引先にその短パン・生足・グラディエーターサンダルのキャバ娘を紹介して回るんだとさ。アホらし。付き合ってられるか。と思ったのは今に始まったことではないけれど、「一緒に働きましょう!」と言ってくれた会社があったので退職することにした。

 

そんなわけで今、絶賛有給消化中である。本来であれば、退職日から逆算して最終出社日を決めるのだが、忙しい時と人が少ない日には居て欲しいと言われ、飛び飛びに休みを取って、たびたび出社をして、ダラダラと退職するような形になってしまった。

 

たまに出社してみて思うのは、外に出るとどうしても嫌な思いをするという切ない現実であった。逆に言えば、外にさえ出なければ、他者とさえ関わらなければ、自分が傷付くということはそうそう無い。一人で過ごす家という場所は、何と心地よくて、何と素晴らしいのだろう。今はネットがあるからエンタメにも事欠かないというのがまたすごくて、誰とも顔を合わせなくてもビデオを借りられるし、本だって読めるし、ゲームだって買えるのだ。こんなの引きこもらない方が損である。

 

しかしながら、その素敵な家も、素晴らしいネット環境にも金が要る。その金の為に働かなくてはならないわけだけど、労働というのは他者との関わりの最たるものであって、傷付いて、まさにその身を削って得る対価であったりする。嗚呼。そんなのおかしい。傷付きたくなくて引きこもる為に、裸同然で外に飛び出してゆかなければならないだなんて。酷い。こんな酷い矛盾ってあるか。などと曰う40歳。外に出なければ傷付かずに済むと分かっているのに、こうしてせっかくの休日もネットという海を利用して外に漕ぎ出してしまうのだから世話が無い。何故なら、他者と関わらなければ傷付くこともないけど認められることもないのだ。

 

その一縷の望みに賭けて、私は外への一歩を踏み出す。そしてまたボロボロに傷付いてこの繭のような家で猫とくるまって眠り、家を守るために戦い、外へ出る。私も他者を傷付ける。私も他者を認める。その理をどこかで引き受けているはずだから。

ドラマ『ウチの夫は仕事ができない』第1話感想。

まあまあ、仕事が出来ないベクトルって、やっぱりそっちですよね。というのがまず第一の感想。

【本当に】仕事が出来ない人を主人公にしたらドラマにならないっていうか、お話にならないっていうか、放送出来ないですもんねぇ。だから、仕事が出来ないって言うか、ビジネスに徹することが出来ないお人好しというのが関の山だろうなとは思ってましたが、まさにその通りでした。本当に仕事が出来ない人なら、あんな風にデザイナーの心を掴むことなんて出来ないし、提案を請われたところで何も出てこないだろうし、企画意図も汲めないからレイアウトの一発OKなんて有り得ないし、仕事が出来ない訳じゃない。応援する価値もないダメ夫が錦戸クンな訳ないのです。

 

とは言え、何だか不思議な配役ですね。特に壇蜜さんとかイモトさんとか。全体的な“チャレンジ”が見えてちょっと興味深いです。チグハグな違和感が拭えなくて、途中視聴を止めようかと思いましたが、1話で松岡茉優ちゃんがすごくいい奥さんで視聴続行を決めました。「あなたの良さが分からない会社なんて辞めちゃえ」「私も働けばいいし」というのがとても良かった。個人的には最近『あなそれ』とか『ナオミとカナコ』とか(後者はNetflixで視聴)結婚とか妊娠に後ろ向きなドラマを立て続けに観ていたせいで、「ドラマ内でこんなに素直に妊娠を喜べるなんて…!」と変なところでほっこりしたりもしました(笑)元気が出るビタミンドラマになってくれることを望みます。

 

今期もアニメはほとんど観ませんかね…録画予約してるのは『バチカン奇跡調査官』ぐらい。小説が気になってたけど読むの面倒で放っておいてたので。ドラマはそれなりに観る予定。真木よう子さんとか窪田正孝さんとか気になる役者さんが今期も多いです。とてもありがたいことです。

嫁=家政婦とは限らない。

先日、会社の喫煙室でこんな会話が聞こえてきた。

 

男性社員A(60代) 「彼女いるんだろ〜?結婚しないのか?」

男性社員B(30代) 「…ええ、まあ、まだちょっと…」

男性社員A(60代) 「結婚はいいぞ〜。掃除・洗濯は自分でやらなくていいし、飯は用意されてるし」

 

ゾッとした。女をなんだと思ってるんだ。嫁は家政婦じゃないぞー!と廊下で一人シュプレヒコールを上げていたら、通りかかった別の社員さんに笑われてしまった。いや、でも笑い事じゃない。そんな気持ちで結婚されてはたまったもんではない。

 

なにも“女だからといって、家事全般をやる必要はない”などという極論を振りかざすつもりは毛頭ない。逆もまた然りで、とある女性が「結婚はいいわよ〜。外で働く必要はないし、毎月お金が振り込まれてくるし」などという会話をしていたって同じように悪寒が走っただろう。夫はATMじゃないぞー!というあれである。

 

もちろん「愛する夫のために家事全般は私がやります!」というのも良いと思うし、愛する妻のために頑張って稼ぎます!という男性も素晴らしいと思う。要は、家事全般をやらなくて済むことがその人の結婚の良さとは限らないということを言いたい。もしかしたら社員Bさんの方が、家事が好きだったり得意だったりするかもしれない。それであれば堂々と家事をすれば良いのだ。そこにあった男女差なんてとっくに失われていたと思ってたのに、突然耳に飛び込んできた時代錯誤な物言いに、ぶわっと怒りが沸いたのである。

 

思えば、私の両親も60代であるが、私の彼が正社員でないことを未だに気にしている。本人たちも、正社員であることだけが人の価値ではないし、私(娘)の幸せとは限らない、と頭では分かっているようなのだが、心のどこかで引っ掛かってしまうらしい。きっと二人の経験がそうさせているのだから否定はしない。結果として放任してくれていることには感謝しているけど、理解されないと感じることに寂しさはつきまとう。

 

かく言う私だって、経験に基づいてこの話をしている。というのも、私は母からよく「結婚したら料理も出来るようになるし、洗濯だって掃除だってするようになるわよ」と言われて育った。今思えば、母は家事全般が好きでも得意でもなく、結婚を機に父や私たちの為に家事をせざるを得ない境遇だったから、まさに自身がそうだったのだろう。そうして私も結婚をして、これでも10年以上主婦経験を経ているが、結局未だに料理には興味が持てない。レシピ通りに作ることは出来るが、より美味しく食べたいとか、冷蔵庫にあるものでパパッとということは出来ない。母が結婚をして家事全般をこなすことが出来るようになったのは、ひとえに愛の成せる業だったのだなぁと感心してしまう。

 

では現在はというと、猫中心の生活なので料理は全て諦めていて、もう半年以上料理していない。猫にとってはネギ類全般が毒なので、みじん切りなんて到底出来ないし、してもどこかに落ちてないか気が気でならない。まだ熱の残るコンロに平気で飛び乗ろうとする猫を制止し続けるのも、料理のたびにガス台から床まで飛び散った細かな油を拭き取るのも面倒になってしまった。彼氏も別に料理をさせるために私と暮らしているのではないという考えなので、別段それで責められることもない。この点はお気楽にやっている。掃除と洗濯は、完璧ではないけれどもちょこちょこやるようにしている。これも基本的には猫の為。洗濯は彼もやってくれるけど、掃除はしない人なので、私自身が気にならない程度にやる。ちゃんとやろうとは思わずに“やらないよりはマシ”という気持ちで取り組むのが、私が長年生きてきて培った気持ちの持ちようである。

 

みんなそれぞれ、変な世間体や意識に囚われないで、満足が得られたらいいのに。

 

 

ドラマ『あなたのことはそれほど』第1話感想。

5年付き合って、最初の結婚をした。

でも、結婚して2年目には夫以外の人を好きになってた。

だからこのドラマはとても胸に刺さる。過去の自分の「結婚という過ち」を、まざまざと見せつけられているような気がして。

 

私もみっちゃんと同じで「なんだかときめかないけど、きっと結婚ってこういうもんなんだろうな」と思いながら結婚した。ちゃんと仕事があって、両親に愛されてて、私を好きだと言ってくれる優しい人。きっとこういう人と結婚するのが一番で、そういう人と出会えた私は幸せ者で、だから結婚したら幸せになるんだろうなと思った。周りからも「おめでとう」とたくさん祝福されて、やっぱりこれが正しいんだ、これが俗に言う普通の結婚なんだと、漠然と考えて結婚した。

 

そうやって結婚して上手く行く人も、もちろんたくさんいるだろう。でも私は上手く行かなかった。あの頃は、流れでああやって結婚するしかなかったけど「こういうもんなんだろうな」と思いながらも、1ミリも幸せな結婚生活とやらを想像出来なかった自分にもっと疑問を抱くべきだったとは思う。掃除をして洗濯をして料理をすることは、これっぽっちも結婚生活とは関係がなくて、同じ布団で寝ることも、手を繋いで同じ家に帰ることも、おはようとおやすみを毎日言い合うことも、別に結婚生活では無かった。じゃあ何が結婚生活なんだろう。私が結婚に向かなかった事だけは確かに分かったのだけれど。

 

私は、自分が信じられないし、相手も信じない。愚直に人を信じられる人間も胡散臭くて信じられない。それでも今の私は、ちゃんと半分幸せで半分不幸せだ。突然打ち切られる幸せに怯えて、何処かで覚悟して生きてる。ドラマの結末はきっと誰もが報われないんだろうけど、実際には誰にも幸せの尺度なんて分からない。でも自分の幸せに、他人の不幸せを踏み台にしない為にも、一人で掴める幸せの尺度は早いうちに見極めた方がいい。ずっととか永遠はここに存在しないから。