*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

学生時代に戻りたい。

今日整体を受けていたら、整体師のお姉さんから「去年の今頃はまだ大学生だったんですよー。1年でいいから学生時代に戻りたいって友達と話しててー…」という世間話に。眠かった私は適当に話を合わせて「そうですねー。時間はたくさんありましたねー。」などど相槌を打っていたのだが、内心(学生時代に戻りたいなんて思ったことねーな。つーかお姉さんこの仕事辛いのかい?)などと思っていた。

 

学生時代なんて言わなくても、20代でも30代でも、私は過去に戻りたいと思ったことが一度もない。自慢じゃないけど好きな仕事しかしてないし、今が一番楽しい。学生時代なんてお金も無くて、時間だけはあるけど不自由だし、何のかんのと他人ばかり意識して精神的にも疲れたし、お世辞にも良い時代とは言い難い。もちろん若い時にしか出来ないことは山ほどあるし、思い悩んで刺激を受けたことが今の自分を形作っているし、無意味・無駄なんて思わないけど、戻りたいほど楽しい時代ではなかった。そう考えるとお姉さんの学生時代は大層楽しかったのだろうなぁ。それともやっぱり整体師という仕事は、思い描いていた自分の未来とはかけ離れているのだろうか。だとしたらとても残念だとおばさんは思う訳で。まだ若いんだから転職でも何でも好きなことに時間を使ったほうがいいよー!なんてお節介に言いたくなってしまうのです。

 

今の職場では10以上も年下の女の子たちと仕事をしている。やれ彼氏がどーした、結婚がどーだ、出産がどーだ、あいつがムカつく、何であの人は分からないの?何でもっと効率良くやれないの?…と、まあ毎日エネルギーを放出している感がある。自分の20代を振り返ってみても、傲慢で怒りと嫉妬に満ちた20代だったから、おそらく20代ってそういう時期なんじゃないかなと思う。それが30代の前半くらいまで続き、徐々になんだか細かいことがどうでも良くなって、執着みたいなものが薄らいで、自分との折り合いがついてくるから不思議だ。聖人じゃないから、もちろん上手くいかないことの方が多いし、自分の責任で損害は出るし、不用意な一言で他人を傷つけてしまったりもするし、瞬間的に怒りが湧くこともあるけど、家に帰って猫にごはんを上げて、自分のご飯も適当に食べて、猫とゴロゴロしながらニュースなんか観ていると「今日って何かあったっけなー」なんてすっかり忘れているのだった。忘れるなんて良くない!と言う人もいるだろうけど、世の中の大半は忘れなければ生きていけない。否定して生きていくより、肯定して生きていくほうがよっぽど楽で、この歳になるとついつい楽な方へ流されてしまうのだ。

 

そんな風にぼんやりおばさんをやっていると「本城さんはいつも穏やかでいいですねぇ」と言われる。この物言いには2通りあって、一つは言葉通り良い意味で、悪い人は悪意を持って(ったく、このおばさんは能天気で呆れるわ!)という意味を込めて言ってくる。「あなた達も歳を取れば分かるわよ」なんて適当な言葉を返す本当のおばさんにはなりたくない。というか、自分より年上でもよく分からないゴシップニュースに一喜一憂したり、大勢を鵜呑みにしたり、勉強しようとせず上辺だけ取り繕ってる大人もたくさんいるから、「そんなことないです」と苦笑いを返すことにしている。それは暗に「あなたの人生なんて私にはこれっぽっちも気になりませんよ」という最上級の冷たさであったりするのだった。

 

とにかく、2匹の猫に挟まれて温々とこの文章を書いている今が一番幸せなのである。

転職という名の駆け引き。

さて、年末年始に転職を考え始めて、実際に転職サイトに登録したり、転職エージェントの面談を受けたりしました。我ながら意外と行動力は持ち合わせているのです。

 

実際は最近の求人事情や、自分の市場価値を確認して、無理そうであれば意地でも今の会社で正社員にしがみついてやると思ってました。世帯主ですし、猫もいますしね!こっちは生活かかっているんで。

転職エージェントさんから言われた意外な一言は「年齢は特に気にされる必要ないですよ」とのこと。営業トークかもしれませんが、こちらも大人なので「そうなんですね、安心しました」と返しておきました。

求人も相変わらず面白い仕事がけっこうゴロゴロしていて、ちょっと眺めるだけでは物足りなくて実際に応募してみることにしました。採用されるか分かりませんし、こっちだって本当に希望に適った会社か確認してみたい。

 

しかしながら、今の会社にはそんな素振りを一切見せていません。元々、4月の昇給を以て自分に対する会社の姿勢を確認し、それに不満があれば転職しようと考えていたからです。つまり、今の会社が自分をどう考えているのか、そこがまだ測りかねているところなのです。

もしかしたら「生活があるので、もっと給与も待遇もいい会社に転職を考えています」と切り出したら、慌てて昇給や待遇を見直してくれるかもしれない。40という年齢も考えると、新しい職場でまたイチから新人として出直すよりも、勝手知ったるこの場所で業務改革を推進するほうが面白いかもしれない。

そうなると懸案となるのは退職金制度がないことと、何より社長の人間性が嫌いだし、このところ社員は増えないのに業務だけ拡大するという末期的な疲弊を助長しているので、会社の将来性が疑われるところであろうか。(何だか転職するのに十分な理由が揃っているようにしか思えないけど)

逆にこれまでの人材切り捨てを鑑みるに「給与や待遇に不満がある?資格も取らせてやったのに、恩を仇で返すとは不貞野郎だ、今日限りで辞めちまえ」と言われる可能性も十分にある。そうなると転職が決まる前に退職を迫られるかもしれない。それだけはあんまりにも危ない橋なので渡りたくないなぁ。

 

そんな訳で、うまい立ち回り、駆け引きをしっかり進めなければならないのでした。

正直に焦らずブレずに行きたいと思います。

ドラマ『東京タラレバ娘』に少しがっかりした件。

※原作コミックは読んだことがありません。

 

何を期待してドラマを観たんだと言われればそれまでだが、ドラマ『東京タラレバ娘』は何だか肩透かしを食らってしまった。古い。とてもバブリーな時代の香りがする。今時“イイ男”を待っていて気が付けば三十路―というのはともかく、そこから結婚→出産に向けて焦るというのはどうだろう。前クールで一世を風靡した『逃げるは恥だが役に立つ』が先鋭的な社会派ドラマ(就職難・事実婚・シングルマザー)だっただけに、とにかく男!結婚!出産!という主人公の人生目標が、『東京ラブストーリー』やW浅野時代を匂わせるのである。1話を観ただけだけれど、主人公も含め三人とも処女という訳でも無さそうだし、男性経験があるのにそれほど結婚に対して夢物語を描けるのも何だか不自然だ。真剣に結婚→出産を目指している最近の若い女性は、かなり計画的に動いているし、 しっかり現実を見据えている。結婚=幸せという構図より先に、育児のために貯金を考え、貯金のために仕事を続ける…20代前半で結婚を決めた彼女たちは実に堅実で、堅実な恋愛を経ている。だからどうしてもタラレバ三人娘に共感が出来ないのだ。

 

今期の新ドラマでは、意外にも『突然ですが、明日結婚します』の方が恋愛ファンタジーの中に上手くリアリティを染み込ませていて見応えがある。というのも、主人公の目的が明確(専業主婦・子持ち)で、それを夢と語りながらもしっかりと「今時は恋人が煩わしいとか、自分の時間を失いたくないとか、結婚しても共働きがいいとか、色んな恋愛・結婚感がありますよね。(でもそんなご時世でも私の夢は専業主婦なんです!)」と、現実的な前提を肯定しているからである。更に彼女は結婚相手を“イイ男”に限定している訳でもない。寿退社を前提に浮ついて仕事をしている訳でもない。この堅実さが同性としても彼女を応援したくなる要因となるのだ。

 

それと比べてしまうと、タラレバの倫子は仕事も半端、恋愛も半端で高望みだけが空回りしている印象。これぞタラレバ娘と言われればその通りだけど、同年代の視聴者が共感したり、憧れたり、活力を得たりするようなこの頃流行りのドラマとは言えないんではなかろうか。

 

とは言え、酸いも甘いも噛み分けたバツイチ40女の感想なので、タラレバ娘たちの未来の可能性に嫉妬しているだけかもしれない。大島優子アンダーリムの眼鏡がとても素敵で、アンダーリム眼鏡を探しに街へ出たりもした。全体的にファッションやインテリアにはこちらをわくわくさせるものがあるので、できれば最後までこのドラマを見届けたい。

逃げるは恥だが役に立つ。

※流行ったドラマと全くの無関係…ではありませんが、主に私の話です。

 

 

逃げるは恥だが役に立つ

 

初めてこのタイトルのコミックスを手に取った時、私は額面通り「逃げても良いのだ」という意味で受け取った。その他、表紙全体に散りばめられている熟語群(永久就職・少子化事実婚etc…)にも惹かれた。何故なら私は離婚した直後で、ありとあらゆる【世間体】から逃げている真っ最中だったから。

 

海野つなみ先生の著作では『回転銀河』も好きだ。その頃私は結婚していて、他に好きな人がいた。浮気がしたかった訳ではない。気がついたら好きになってしまっていて、この誰にも言えない罪悪感をずっしり腹に抱え込んでいた。浮気や不倫を責め立てる既婚者たちに対し“何故自分は夫または妻以外と、金輪際恋に落ちることなどないと断言できるのだ”と怒りを持って問い質したかった。『回転銀河』に出会ったのはそんな頃だった。

 

『回転銀河』は不思議な恋愛オムニバスで、禁断の恋を描くにも、そこには情熱や障害というより、氷点下の水が常に足裏を浸しているような、冷たい現実を受け入れながらそれでも尚愛を育まずにはいられない両者が淡々と描かれていた。傷つけて初めて気付くという既に叶うはずもない恋心、誰かを好きな彼女が好きという報われない恋など、海野先生の描く物語はチクチクと私の胸を刺して、同時に励ましてもくれた。決して知られてはいけない、気付かれてはいけない恋をしているのは自分だけでは無いということを。抱えている罪悪感こそが贖罪であるということを。

 

意外にも、この時インターネットは何の救いにもならなかった。相談内容は圧倒的に浮気をされた妻、もしくは既婚者を好きになってしまった独身女性で占められていて、更にその大半が怒りを伴った投稿内容であり、立場上怒りをぶつけられる側にあった私の悩みをより深くするだけであった。 

 

逃げるは恥だが役に立つ』は、そんな縁のある作家さんの作品でもあったから、また少し助けてもらう気持ちで手に取った。世間体や倫理観や道徳や常識と呼ばれるものから逃げ出した私に、都合の良い何かを与えて欲しかった。

 

相変わらず、海野先生はそんな生半可な理想郷など安易に与えてはくれなかったが(『回転銀河』だって当然の現実を指し示していただけだった)、それでも“就職→恋愛→結婚→出産”という、私達の親世代には至極まっとうな女性の幸せが多様化していて、更に今まさにそれが複雑だという現実をぽんっと表に出してくれた。

 

正社員だけが労働者ではない。家事は妻の仕事ではない。結婚がゴールではない。

 

作品として誇張されている面は多々あれど、今は本当に幸せの二極化が進んでいて、それがどうにも互いに相容れない。結婚をして子供を産み育てることが幸せと考える人と、自分の時間やお金を自由に使うことが幸せと考える人とが、それぞれまとまった数になってきているにも関わらず、お互いの主義主張を認めるに至っていないのが現実だ。

私は現在アラフォーでバツイチで子供がいなくて事実婚状態でとても幸せな訳ですが、こう書いてみてもやはり強がりにしか聞こえず、客観的にも負け組の要素しか感じられない。それはやはり私の両親の期待を多大に裏切っているという罪悪感が大きく影響しているように思う。また、実際に「本城さんだって、これから子供が出来る可能性だって十分あるし」とか「○○さんが籍を入れるらしいからお祝いしよう」とか言われることがある。結婚して子供を授かることが全女性の希望であるかのごとくに。面倒くさくて「そうですねぇ」と適当に相槌を打っている私もいけないのだろうか。もっと声高に「そこに私の幸せは無いんですけどー!」と叫ぶべきなのだろうか。

 

結論として、私は“安定した主婦業”から逃げ出して、今までにない幸福感に満ち溢れている。負け惜しみだと言うなら言えばいいし、他人の人生を踏みにじった人間が幸せだなんて赦せるものかと怒れる人は怒ればいい。この先に大きな悲しみが待ち構えているだろうけれど、その時の為にもこの幸せをしっかり実感しておくのだ。悲しみや辛さの中でも、今の幸福を思い出せるように。この幸福を糧にする為に。

 

逃げるは恥だが、少なくとも私の人生においては役に立ったと思います。

私は何故こんなにも業務改善について日々悶々としているのか。

それはただ単に自分が楽して稼ぎたいだけだからである。

 

結論は出ているのだけれど、何で一般事務職の末端である自分が(というより社員の大半が)これ程現行の業務に疲弊し、業務改善要求を抱えていると言うのに、執行部が10年以上もこれを放置していると言うのは、無知・無学の為せる技だろうか。それとも指摘されるまでもなく分かっているけれども着手出来ない(もしくは過去に着手したが失敗した)結果なのだろうか。

 

残念ながらうちの社風は風通しが全くなく、出来ない社長のワンマンで、異を唱えた人間が辞めさせられていくのを何度も見てきた。だからこそ、末端である自分が業務改善を提案して汗かくだけの価値があるとも思えないのが、これを実行に移せない最大の要因であったりする。社員に対しても見栄っぱりな社長のことだから、直接掛け合えば「良いじゃない、やってみてよ」というに決まっている。但し、それに導入費が絡むとなるとアナログヤンキーばばあが仕切る経理を説得することは難しく、無料ツールでどうにかさせられること必至である。果たして現行の無駄を削減し、業務量をマイナス(もしくは±ゼロ)する目的を無料ツールで賄えるのであろうか。何度でも言うけれど、私は業界に対しても素人だし、システムに対しても素人で、一から勉強するのはまあ苦ではないけれど、自分の仕事を増やしてまで取り組むべき事なんだろうかと、甚だ疑問に思うわけで。

 

そんなんやるくらいならシステムがしっかりしてる会社に転職してしまった方が早い。そうだ、転職しようとこの正月は転職を考える日々だった。自分に市場価値がなければ諦めもつく。それまではこの悶々とした日々をソシャゲで紛らす事としよう。

猫は意外と許してくれる。

新年明けましておめでとうございます。

下書きフォルダに1年前の“謹賀新年”記事が眠っていることは内緒です。いつかきっと彼も日の目を見る日が来ることを信じたいです。

 

さて、今年の年末年始は飼っている猫が風邪を引いてしまって、動物病院に始まり、動物病院で終わる正月でした。看病とは言っても、朝晩のご飯に薬をかけるくらいで、あとは見守るしかないのでとにかく一緒に過ごしていたら、最高の寝正月になってました。

 

私は昔うさぎを飼っていたのですが、大人しく爪を切らせてくれるようなおっとりうさぎではなかったので、定期的に爪切りの為だけにうさぎを動物病院に連れて行ったものですが、うさぎも賢いのでケージに入れるのも大変でひどく抵抗されました。やっと連れて帰ってくるとぷんすかとしばらく見向きもしてくれません。怒っているのです。ケージの端で乱れた毛をひたすら繕って、ぷんぷんと怒っています。うさぎも表情豊かなので一緒に過ごしていてとても楽しかったです。

 

猫は飼い始めてまだ7ヶ月で、病院に連れて行ったのはそれぞれ2回ずつですが、ケージを開くと2匹とも入ろうとするのが不思議です。まだ子猫だからでしょうか。それとも筒状のものを見ると入らずにはいられない猫の習性でしょうか。とにかく猫に関しては「ケージに入ってくれなくて困る」という目には、今のところ遭っていません。

 

そして病院から帰ってきてからも、怒るどころか体を寄せてきて「怖かったにゃん」と言わんばかりの表情です。なんて可愛いんでしょう!うさぎももちろん可愛かったけれど、うちの猫の可愛さはまた格別です。大きくなったら態度も変わるのでしょうか。とにかく今はこの貴重な子猫時代をしっかり記憶に刻みたいと思っています。

 

まだまだこれからのにゃんこ生活ですが、猫はあんまり根に持たないなぁという印象があります。それがとても優しくて心地よいです。謀らずも風邪と共に年越しになってしまった猫たちですが、これからも末永く一緒に暮らして行けるように頑張ります。

1日4時間働く。

パートに出ていた時、天職に巡り逢った。16:00~20:00という仕事だ。仕事の内容は何でも良い。この16:00~20:00という時間帯が素晴らしいのだ。

 

その職場では9:00~13:00という枠もあって、面接官に聞いたらそちらの方が圧倒的に人気があり、16時枠は応募者が少ないから助かるみたいな事を言われて驚いた。その後興味を持って、周囲の人間にヒアリングしたところ、やはり圧倒的に「13時に仕事を終えてのんびりしたい!」「後に仕事が控えていると思うと気が滅入る」と言った理由で、9:00~13:00枠を希望する人が多かった。否、9:00~13:00枠を希望する人しか居なかった、とした方が正しい。

 

私は逆に9:00~13:00に仕事をしてしまうと、①そもそも目覚ましを掛けて寝る必要があるのが嫌だし、②仕事を終えた時点で疲れて何もする気が無くなるし、③仕事を頑張ったご褒美と称してあれこれ盛りだくさんの昼食(アルコール類・ツマミ含む)を買って帰って、④ろくに食べきらないまま夕方から寝てしまい、⑤起きて酒とツマミを口にしながらオンラインゲームを深夜までやって、⑥寝不足…という、至極不健康スパイラルに陥る。

 

これが16:00出勤となると、8:00~10:00にのんびり起床→掃除をしたりブランチしながら録画したビデオを観る→軽く昼寝またはオンゲー→夕飯を作って冷蔵→出社→帰宅後作りおきした夕飯を食べながら録画したビデオを観る→風呂→オンゲー…となり、一転優雅な、まるで出社など無かったかのような一日となる。ちょっと早起きして出社前に映画を2本観るとかもよくやっていた。13:00に仕事を終えて、そこから映画を観に行く気にはならないのに、だ。

 

この感覚的な違いを学術的に何というのかは知らない。ただ、仕事から解放された時間を"自分時間"と呼ぶのなら、自分時間が無いまま仕事に行くのが嫌なだけだ。今はフルタイムで働いていて、嫌々目覚まし生活を送っているが(猫のおかげで嫌々という問題ではなくなってきたが)、それでも例えば食事と化粧の間の10分、家を出る前の5分などにもう一度寝たり、ソシャゲにログインしたりする。 わずかでも良いから起床→出社のプロセスの合間に自分時間をねじ込んでやるのだ。それによって私は何かに勝利するのである(?)。

 

たった3年くらいのモラトリアム期間だったが、あれがあったから今頑張れると思う。一度社会人になったらずーっと働くのでは無くて、ぽっと働く時間を短くして自分時間に重きを置けるような期間が誰にでもあれば良いのに。そうすると自分の仕事に責任を持つ人が減ることは、役所で働いて知っているけれど。