*Complex+Drive*

勝手に上から目線の、真っ黒な。

私は何故こんなにも業務改善について日々悶々としているのか。

それはただ単に自分が楽して稼ぎたいだけだからである。

 

結論は出ているのだけれど、何で一般事務職の末端である自分が(というより社員の大半が)これ程現行の業務に疲弊し、業務改善要求を抱えていると言うのに、執行部が10年以上もこれを放置していると言うのは、無知・無学の為せる技だろうか。それとも指摘されるまでもなく分かっているけれども着手出来ない(もしくは過去に着手したが失敗した)結果なのだろうか。

 

残念ながらうちの社風は風通しが全くなく、出来ない社長のワンマンで、異を唱えた人間が辞めさせられていくのを何度も見てきた。だからこそ、末端である自分が業務改善を提案して汗かくだけの価値があるとも思えないのが、これを実行に移せない最大の要因であったりする。社員に対しても見栄っぱりな社長のことだから、直接掛け合えば「良いじゃない、やってみてよ」というに決まっている。但し、それに導入費が絡むとなるとアナログヤンキーばばあが仕切る経理を説得することは難しく、無料ツールでどうにかさせられること必至である。果たして現行の無駄を削減し、業務量をマイナス(もしくは±ゼロ)する目的を無料ツールで賄えるのであろうか。何度でも言うけれど、私は業界に対しても素人だし、システムに対しても素人で、一から勉強するのはまあ苦ではないけれど、自分の仕事を増やしてまで取り組むべき事なんだろうかと、甚だ疑問に思うわけで。

 

そんなんやるくらいならシステムがしっかりしてる会社に転職してしまった方が早い。そうだ、転職しようとこの正月は転職を考える日々だった。自分に市場価値がなければ諦めもつく。それまではこの悶々とした日々をソシャゲで紛らす事としよう。

猫は意外と許してくれる。

新年明けましておめでとうございます。

下書きフォルダに1年前の“謹賀新年”記事が眠っていることは内緒です。いつかきっと彼も日の目を見る日が来ることを信じたいです。

 

さて、今年の年末年始は飼っている猫が風邪を引いてしまって、動物病院に始まり、動物病院で終わる正月でした。看病とは言っても、朝晩のご飯に薬をかけるくらいで、あとは見守るしかないのでとにかく一緒に過ごしていたら、最高の寝正月になってました。

 

私は昔うさぎを飼っていたのですが、大人しく爪を切らせてくれるようなおっとりうさぎではなかったので、定期的に爪切りの為だけにうさぎを動物病院に連れて行ったものですが、うさぎも賢いのでケージに入れるのも大変でひどく抵抗されました。やっと連れて帰ってくるとぷんすかとしばらく見向きもしてくれません。怒っているのです。ケージの端で乱れた毛をひたすら繕って、ぷんぷんと怒っています。うさぎも表情豊かなので一緒に過ごしていてとても楽しかったです。

 

猫は飼い始めてまだ7ヶ月で、病院に連れて行ったのはそれぞれ2回ずつですが、ケージを開くと2匹とも入ろうとするのが不思議です。まだ子猫だからでしょうか。それとも筒状のものを見ると入らずにはいられない猫の習性でしょうか。とにかく猫に関しては「ケージに入ってくれなくて困る」という目には、今のところ遭っていません。

 

そして病院から帰ってきてからも、怒るどころか体を寄せてきて「怖かったにゃん」と言わんばかりの表情です。なんて可愛いんでしょう!うさぎももちろん可愛かったけれど、うちの猫の可愛さはまた格別です。大きくなったら態度も変わるのでしょうか。とにかく今はこの貴重な子猫時代をしっかり記憶に刻みたいと思っています。

 

まだまだこれからのにゃんこ生活ですが、猫はあんまり根に持たないなぁという印象があります。それがとても優しくて心地よいです。謀らずも風邪と共に年越しになってしまった猫たちですが、これからも末永く一緒に暮らして行けるように頑張ります。

1日4時間働く。

パートに出ていた時、天職に巡り逢った。16:00~20:00という仕事だ。仕事の内容は何でも良い。この16:00~20:00という時間帯が素晴らしいのだ。

 

その職場では9:00~13:00という枠もあって、面接官に聞いたらそちらの方が圧倒的に人気があり、16時枠は応募者が少ないから助かるみたいな事を言われて驚いた。その後興味を持って、周囲の人間にヒアリングしたところ、やはり圧倒的に「13時に仕事を終えてのんびりしたい!」「後に仕事が控えていると思うと気が滅入る」と言った理由で、9:00~13:00枠を希望する人が多かった。否、9:00~13:00枠を希望する人しか居なかった、とした方が正しい。

 

私は逆に9:00~13:00に仕事をしてしまうと、①そもそも目覚ましを掛けて寝る必要があるのが嫌だし、②仕事を終えた時点で疲れて何もする気が無くなるし、③仕事を頑張ったご褒美と称してあれこれ盛りだくさんの昼食(アルコール類・ツマミ含む)を買って帰って、④ろくに食べきらないまま夕方から寝てしまい、⑤起きて酒とツマミを口にしながらオンラインゲームを深夜までやって、⑥寝不足…という、至極不健康スパイラルに陥る。

 

これが16:00出勤となると、8:00~10:00にのんびり起床→掃除をしたりブランチしながら録画したビデオを観る→軽く昼寝またはオンゲー→夕飯を作って冷蔵→出社→帰宅後作りおきした夕飯を食べながら録画したビデオを観る→風呂→オンゲー…となり、一転優雅な、まるで出社など無かったかのような一日となる。ちょっと早起きして出社前に映画を2本観るとかもよくやっていた。13:00に仕事を終えて、そこから映画を観に行く気にはならないのに、だ。

 

この感覚的な違いを学術的に何というのかは知らない。ただ、仕事から解放された時間を"自分時間"と呼ぶのなら、自分時間が無いまま仕事に行くのが嫌なだけだ。今はフルタイムで働いていて、嫌々目覚まし生活を送っているが(猫のおかげで嫌々という問題ではなくなってきたが)、それでも例えば食事と化粧の間の10分、家を出る前の5分などにもう一度寝たり、ソシャゲにログインしたりする。 わずかでも良いから起床→出社のプロセスの合間に自分時間をねじ込んでやるのだ。それによって私は何かに勝利するのである(?)。

 

たった3年くらいのモラトリアム期間だったが、あれがあったから今頑張れると思う。一度社会人になったらずーっと働くのでは無くて、ぽっと働く時間を短くして自分時間に重きを置けるような期間が誰にでもあれば良いのに。そうすると自分の仕事に責任を持つ人が減ることは、役所で働いて知っているけれど。 

 

会社を辞める理由。

何だか全体的にほわっとしていて掴み所が無いのだが、相変わらずうちの会社は気持ちが悪いことは確かだ。

 

 

どうやら一番若い事務の女のコが辞めるらしい。

その辞める時期と言うのが①後任の新人を雇って、まだ見ぬ彼女に仕事を完全に引き継いで②且つ、自分が妊娠したらという、いつになるんだか、辞めたいのか辞めたくないんだか、よく分からないタイミングなのである。

 

「妊娠した」ではなく「妊娠したい」と会社に相談する彼女も彼女だが、相談された会社側も「繁忙期に妊娠されたら困るから時期をずらして」と言ったと言うんだから全くもって不可解極まりない。

妊娠なんてしたこともないし、したいと思った事もないけど、そんなに計画して計画通り進むものなのだろうか。

 

妊娠したら(くどいようだが、彼女たちの前提はifなのである)産休を取って、現職に復帰したいという彼女に、会社は「繁忙期に妊娠するつもりなら、快く迎えられない」と答えたらしく、結局彼女は先程の①②の条件で退職することになったのだ。…うーん、説明を振り返っても全く意味不明すぎる。

 

そもそも彼女が子作りに励んだとしてすぐに妊娠するのかも分からないし、そのタイミングが繁忙期に掛かるかも分からないのに、良くもまあそんな机上空論を前提として「会社に迷惑掛けるなら辞めます。求人出してください。」「おk」という流れになったものだ。1年仕事に携わらないと人が育たない環境で、新人を採って繁忙期を乗り切るより、彼女の子作り宣言を祝福(?)し、できたらできた時に彼女の体調を鑑みて考えるでも良かったのではないかと思う。

もしかして妊活を理由に会社を辞めたかったのではないかと疑いたくもなる話ではないか。

 

彼女はまだ20代前半でとても若いからかもしれないが、私の廻りには不妊で悩んでいる人も結構いる。何の自信があっての突然の妊娠予定宣言なのか。宣言しておいてなかなか妊娠しなかったら、新人の扱いはどうなるのだろうか。疑問は尽きないが、私はこのハリボテのような会社が好きではないので、どうでも良すぎて「…あー…そうなんですね。残念ですね」と当たり障りのない言葉を発したのであった。

 

訳分かんないから早く潰れていいよ、この会社。

選択肢が増えているようで減っている事実。

パソコンが壊れて、タブレットを買った。auのブックパスを見たら、読みたいと思っていた雑誌が読み放題で読めることが分かったからだ。自分が幼い頃とはずいぶん世の中が変わった。手元の板一つで気になったことはすぐ調べられるし、見逃したドラマは見れるし、買いたいものは家に届くし、読みたい本も読めるようになってしまった。情報過多で、情報は与えられるものではなく、選び取る時代になった。“検索”だ。検索----その手段によって、並べられる情報は随分違ってくることになる。

 

だからこそ、こちらはたくさんの選択肢の中から情報の取捨選択をしているつもりであっても、実は相手にとって都合の良い情報を選び取らされている可能性があることに気がついた。

 

例えば私はブックパスの読み放題プランに加入している。そうすると必然的に“読み放題プランの中から”本を選ぶようになる。語句検索をして、今まで知らなかったような本がたくさん出てきて、片っ端から本棚にストックしていくと、たくさんの情報を得られた気分になるが、そもそも最初から「読み放題の中」で情報が制限され、更に検索上位が優勢というフィルタが掛かることになる。(もちろん本当に読みたい本であれば有料で買うことも出来る。しかしこれだけ“定額”や“無料”に慣れてしまうと余程のことが無い限り手出しは難しい)

 

最近流行りの音楽でもそうだ。ドライブにぴったりの曲、集中力が上がる曲----知らなかったアーティストを知れたり、思いがけない名曲に出会えることももちろんある。でも逆に考えれば“誰か”のカテゴライズに付き合わされているだけで、情報を取捨選択するどころか、全体的に受動的で与えられたものに満足するように、世間に飼い慣らされているのではなかろうか。

 

そんな危機感を持っても、私は別に読み放題プランをやめて街の本屋に出向いたり、古本屋を覗いたり、図書館巡りをしたり----に徹することも敢えてしない。本屋にも古本屋にも図書館にもレンタルショップにも行きながら、電子書籍や音楽アプリや動画サイトにもお世話になる。これが本当の【選択肢が増えた】と言えることだからだ。そうして最初は無料で手に入れたものでも、これはいいと思うものはきちんとお金を払って手に入れ直す。作り手には敬意と感謝の意を持って対価を支払う。それが今の便利なシステムの継続につながり、エンドユーザーの正しいあり方だと思う。

雨の日に思うこと。

前の記事が晴れで、今日が雨とか出来すぎている。

 

突然出来た台風のお陰で、外は雨が降ったり止んだりを繰り返している。雨は嫌いではない。基本引きこもりなので、引きこもってもいい理由を与えられている気がするから。…いや、晴れてても引きこもるんだけど。

 

幼い頃、よく雨の日にシャボン玉を飛ばしていた。

 

玄関の屋根の下に立ち、どしゃ降りの雨に向かって勢いよくシャボン玉を飛ばして、雨粒に次々と破壊されるシャボン玉をぼんやりと眺めた。昔からそういう、退廃的というか哲学的というか詫び錆びというか、そういうものを肯定的に捉えていた。世界は理不尽だった。一方的で抗えないものだった。そういうことを一つ一つ確認していたのだ。

 

癇癪を起こしている子供に向かって怒鳴り散らしている大人を見るたび、この人は忘れてしまったのかなと思う。ほしいものが手に入らない理不尽さ、気付いて欲しいことに気付いて貰えない寂しさ、行きたい所に行けない不甲斐なさ…大人になる頃には抗うことに疲れて忘れてしまうほとんどのこと。だから私は昔に戻りたいとか、あの時ああしておけば良かったとか思わない。今が一番したいことをしているから。全部自分で選び取って行けるから。

晴れた日にベランダに洗濯物が干してある幸せ。

晴れた日にベランダに洗濯物が干してあると、何故か誇らしい気持ちと満足感でいっぱいになる。

 

英語を勉強していた時に、海外の方とお互いの非ネイティブ言語で書いた日記を添削し合うサイトに登録していて、同じような事を英語で書いて載せたら「何故折角洗った物を汚い外に出すの?」という質問を受けてびっくりした。国にも拠るけど、国によっては洗濯物を外に干す=貧しい地域という認識があるらしい。基本的にアメリカやヨーロッパでは乾燥機がで乾かすのが普通らしい。そう言うこともネットで調べてみて初めて知った事だけど、未だその巨大そうな乾燥機の画像を見たことはない。

 

問いかけに対し私は拙い英語で「太陽光という自然エネルギーを活かした伝統的な日本文化だからだ」と答えた。皆さんならどう答えるだろう?

 

あのサイトで交流していて一番感じたのは、自分が日本人であることと、自分が個であることだった。私の日常や思いは単なる個人の物でしか無いのに、海外の方からすると日本人は皆~という意識がある。逆もまた然りで、アメリカの人の日記を読んで、アメリカを知った気になってしまう。私は彼女を知ったに過ぎないのに。

 

個のみで全体を述べることは危険だし間違っている。また全体から個を決めつけることもあってはならない。貴方も日本人でありながら外に洗濯物を干す行為に抵抗があるかもしれない。それは貴方で、日本人で、私もまた日本人で、しかしこの点では貴方と相容れない。それが連綿と続き世界を構築している。だからこその世界で、認識など何の意味も持たない。ただそこには分かり合えない個が有るだけだ。